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【レジーナ・ホロヴィッツ, 1899-1984🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ19】

レジーナ・ホロヴィッツ(Regina Horowitz, 1899-1984)は,ジトミール(旧制ロシア,現ウクライナ)の生まれ(キーフ生まれと説明しているページもある)。あの,ウラディミール・ホロヴィッツ(以前の記事も見てね)の姉だ。ウラディミールは,「姉の方が自分より演奏がうまい」としばしば語っていたらしい(情報源)。

レジーナは,キエフ音楽院でウラジーミル・プチャルスキーに師事して1919年に卒業。ウラディミールもプチャルスキーに師事していたことがある。

1920年から1925年までキエフ・フィルハーモニー管弦楽団のレペティトゥール(注)を務めた。モスクワに客演した後、ハリコフ・フィルハーモニー管弦楽団のピアノ伴奏者に就任(1927~1936年)。1920年代から30年代にかけて、ソビエト連邦でコンサートを開催。伴奏者としてナタン・ミルシュタイン、ダヴィッド・オイストラフ、サムイル・フューラーらと共演。

  • 注) レペティトゥール: 歌手、合唱団、器楽奏者などのリハーサルのときに、オーケストラの代わりにピアノを演奏したり、個々のリハーサルで音楽的な修正を指示したりする人。

レジーナは,1937年からはハリコフ音楽学校で,1939年からはハリコフ音楽院で教鞭をとる。また、1947年からはハリコフ音楽院のハリコフ青少年音楽学校でも教えていた。名教師として非常に評判が高いらしい。

アメリカに亡命した弟のウラディミールとはずっと連絡を取り合い,1960年代からハリコフの音楽家たちにウラディミールの演奏について宣伝をした。ウラディミールはソ連にとっては反逆者なので,彼女のキャリアは悪化し、国外に出ることもできなくなった。

ヴァイオリニストのナタン・ミルシテインはレジーナとウラジミールのどちらとも交流が深かったが,二人について以下のように回顧している(情報源)。

レジーナ・ホロヴィッツは当時、おそらくヴォローディア(ウラディミールの愛称)よりも腕の立つピアニストだったが、ショパンのバラードやマズルカといった定番のレパートリーを弾いていた。ヴォローディアがピアノの前に座ると、ワーグナーの『ジークフリート』の剣を鍛えるシーンを自作自演したり、『トリスタンとイゾルデ』の主題を即興で演奏したり、リムスキー=コルサコフのオペラ『金鶏』の色々なシーンを演奏したりと、普通聞かないような演奏をした。ピアニストがコンサートでこのような演奏をすることはなかった!私は唖然とし、驚愕した。音楽のハリケーンだった。

少なくとも,レジーナがかなりの弾き手であったことは間違いない。一方で,作曲家を志していたウラディミールの才能も伝わる素敵なエピソードだ。

レジーナの演奏はあまり残っていないようだが,オデッサ生まれのヴァイオリニストのサムイル・フューラー(Samil Fuer, 1909-1980)との共演の録音が少し残っている。フレルのヴァイオリンも素晴らしいが,レジーナの伴奏による細かい表現付けが実に素晴らしい。


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