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第1章 小麦も米も同時に、いくらでも同じテーブルに上がる、不思議な中央アジアの食卓 〜中央アジア 北東部の場合〜

はじめて中央アジアの食文化を知った時、1番の驚きは圧倒的な炭水化物の多さだった。
何しろ、同じ食卓に米料理とパンが一緒に出てくるばかりか、食卓に上がる他の料理も、小麦粉と肉を合わせた料理が非常に多いのである。これは初め、驚き以外の何ものでもない光景だった。
米とパンは当然の様に同時に食卓に上がり、しかもパンは毎回どんな料理の時にも必ず毎食登場する。


キルギス人やカザフ人によるとパンは主食であり神聖な意味合いを持つ為、大切に扱わなければならないと言う。
出来る限りパンを残さない様に子供の頃から言われ、床に落としたり、捨てたりしてはいけないと教えられて育つ。
ここでパンと一口に言っても、中央アジアのパンはノン、ナン、レピョーシカ…などと呼ばれ、丸くて(四角いものもある)大きくて、“チェキチ”と呼ばれる、パンに模様を施す専用の剣山のような道具によって可愛い模様が施してある、とても特徴のあるものだ。
質感は中がみっちり詰まった重めの、塩気の強いパンである。
初めて作り方を知った時には、こんなにも塩を入れるのかと驚いたものだった。弾力もあり、力を入れないとちぎれないほどに、ムチムチしている。
そのパンと同様に、中央アジアの食と言えば、もう1つ絶対に筆頭に挙げられる一品がある…それがプロフだ。


そもそも中央アジアとは、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタン、タジキスタンの5カ国で構成されている。
私は以前、それらが“中央アジア5ヶ国”と括られている以上、各国は同一文化背景を持つ1つの集団の様に信じて疑わなかった。
実際、プロフに関しても、中央アジアのどこの国の料理の紹介を見ても、必ず初めの方に紹介されている料理である。
その為、中央アジアの全ての国において
「あなたの国の国民食は?」
という質問に対して、ほぼ全ての答えが
「プロフ!」
と返ってくるだろうと思い込んでいた。
どんなガイドブックを見ても、どんな中央アジアの国の紹介記事を見ても、プロフがそれらの国での代表的な料理として挙げられている事に変わりはないからだ。
しかしよくよく見てみると、そしてキルギス人やカザフ人にインタビューを行う中で、事情は微妙に複雑である事が判ってきた。
中央アジアの中でも、ウズベキスタンなどの農耕民族がベースになっていた地域と異なり、100年前にも満たないつい最近まで遊牧していた比較的北部の、遊牧民族を祖先に持つ地域では若干事情は異なる様だ。


今回は主に、“中央アジア” と1つに括られる事の多いこの地域の中でもざっくり大まかに、比較的北東部の事情にフォーカスしてみたい。


結果から言うと、キルギスやカザフスタンの様な遊牧民族としてのバックボーンを持つ北部エリアにおいても、プロフは非常によく食される、国を代表的する料理である。
(キルギス国内で呼び方は異なり、北部では Палоо(パロー)、南部ではАш(アシュ)、またカザフ語では Палау(パラウ)と言う。)
しかしその地位は確保しつつも、“国を代表する料理”と“ソウルフード”の定義では若干異なり、例えば生粋のキルギス人やカザフ人にとって、プロフが自分達のソウルフードだという認識は薄い。
彼等の、古代から続いてきた遊牧文化時代の主食は主に肉と乳製品であったが、遊牧民の食卓にもかなり古い時代から小麦が食生活に取り込まれた。
はじめは交易によって、そして後に遊牧民の中からも地を開拓し、農業を始め小麦を栽培する者が出てきた。
そんな風にして遊牧民達にも小麦が広まり、小麦を使った料理も遊牧民の食卓に増えていった。
遊牧時代にも各家庭に木製の製粉機があったほどだという。
また一説に、食料が手に入りにくかった季節や時期(家畜が、何らかの理由により大量死してしまうなど)に、小麦が人々を飢餓から救ったという見解もあり、小麦料理が相対的に食卓に占める割合は格段に増えたという話もある。
現在、それがパンを神聖な物と捉える一因となっているのかもしれない。


ところで、現在も人口の約15%程度が遊牧民であるモンゴルとは異なり、キルギス人やカザフ人は、現在はほぼ遊牧民ではなくなった。(夏だけ遊牧する、季節遊牧民は今も結構存在する。) 1930年代に、ソ連のスターリンによる強制的な定住化政策が行われた為だ。
スターリン政権によって家畜が没収された為、多くの人が飢餓で死に、それまで何千年も続いていた遊牧の暮らしが崩れた。
それでもキルギス人やカザフ人は、遊牧民だった先祖達から受け継いだ食文化 〜多様な乳製品や肉食〜 を非常に大切にしている。
キルギス・カザフスタンだけでなく上に挙げたモンゴルやロシア連邦の北東部に位置する、北極海に面したサハ共和国にまで至る広大な、酪農を主とする地域では、肉と乳製品…即ち伝統的な自分達の食文化の核を表す言葉がある。それが、“赤い食べ物・白い食べ物” 思想である。
赤い食べ物は肉、白い食べ物は乳製品を比喩するが、この肉と乳製品こそが、この地域の人々の食文化の核であり、ソウルフードでもある。特に乳製品に関しては、絞った乳を発酵させる事で多様な種類の乳製品、“飲む”乳ではなく“食べる”乳に派生させる事が出来、人々は特に白い食べ物(乳製品)に感謝し、神聖視して来た。
カザフ語やキルギス語で“Aк(アク)”は白という意味で、“良い事”を表す表現として使われる。白=一番大切で神聖なもの、良いもの、清らかなもの。
“Ак тилек(ak tilek)”=白い(良い)祈り、
“Ак жол(ak djol)”=白い道⇒どこかに出かける人に対して幸運を祈る言葉。
この言葉は、食べ物としての乳製品を大事にする、神聖視する考え方とリンクしている。
白(乳製品)に対して赤(肉)に関して言えば、キルギスやカザフスタンは本当によく肉を食べる食文化で、また肉は主食だとも言える。
2つの国で同時によく知られる料理として、бешбармак(beshbarmak ベシュバルマク=五本の指の意)というものがあるが、これは肉(羊や馬)と少量の、玉ねぎや香草などの野菜と共に、茹でた麺を絡めたり煮込んだりする料理である。
麺の種類は、現在ではキルギスでは比較的細麺が多く、カザフスタンではきしめんの様な幅広の平べったい麺が使われる事が多い。
カザフ製のインスタントもたくさんの種類が売られているが、一般的に中央アジアでは料理は全て手作りするのが良い奥さん、よく出来た主婦、というイメージがあり、周囲に様子を常に伺うご意見番の女性達がたくさんいて、インスタントを使うとあまり良いイメージを持たれず感心されない為、外に向かっては言わない事が多いかもしない。
日本でも、ある時代まではこれと似た考えがあった様に思うが、今は食文化が多様化しすぎてしまい、また共働きが増えた事、また伝統的な年間行事が廃れてしまった事などから、一から料理を手作りする機会は格段に減り、滅多に無いと言っても良いかもしれない。
そもそも、料理をどこまで手作りするかなどという事は、概ね人々の関心事から少し外れてしまっている気がする。


上に挙げたこのベシュバルマクは、カザフ人から、実はこの名前はロシア人が考えたものだと聞いた時は心底驚いてしまった。
面白い事に、カザフ人はベシュバルマクを“Ет”(Et 肉の意)と呼ぶと言う。
ベシュバルマクは麺の上に肉が乗っている、そして肉のスープで麺が煮込まれているので、日本人が見ると“肉入り麺”の様に見えるが、実は当地の人達はただただ肉を食べる、という目的でベシュバルマクを食べるのだと言う。
それゆえ、日本人の感覚とは逆で、“肉入り麺”ではなく“麺入り肉”料理の様に捉えるのだと言い、これは文化の違いによる異なる視点である事が面白い。
キルギス北部やカザフスタンではこの“Ет”は、お祝いの席には必ず振る舞われる料理であるというが、これには馬の肉が入るなど、より北部の中央アジアのオリジナリティーの濃いソウルフードだ。
他にも、キルギスやカザフスタンの食卓でいわゆる主菜の役目を果たす料理の中には、肉と小麦が合体した料理が異様に多い事に気付く。中央アジア・北の文化圏は、知るところほとんどプロフを除いては、肉・乳製品・そして小麦一面の世界である。
プロフの他にも、米を使った料理はいつくか存在するにはするが、プロフの様なご馳走は1つもなく、朝食に軽く食べる粥の種類か、副菜としての付け合わせ的な位置付け、又はスープ類の具としてのみ用いられているのがほとんどである。
参考までに、比較として主だった肉料理、麺料理、そして米を使った料理を列挙してみる。※いかにもロシア由来や、少数民族系の料理の中で一般的に認知されていなかったり、食されていないものは、予め除いた。


<肉のみ、又は肉と野菜の料理>
・シャシリク
・ルーリャカボブ
・カザンカボブ
・クールダック
・ウストゥカン
・ハシプ
・ジョルゴム
・ジズビズ
・ドルマ
・ガルプツィ
・ディムラマ
・ジャールコプ

<麺料理、又は肉と小麦の合体料理>
・ノリン
・チュチュワラ
・バラク
・マンティ
・オロモ
・ハリサ
・ラグマン
・ベシュバルマク
・ウグラ
・グシノン
・サムサ
・シュヴィト オシュ
・ピチャク
・グンマ

<小麦のみの料理>
・バウルサック/ボールソック
・ナン/ノン/レピョーシカ
・パティルノン

ここまでが肉・小麦粉の料理
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<米を使った料理>
・プロフ ・米粥(米のカーシャ)
・米のスープ
・ガンファン(ドゥンガン由来だが、完全 にキルギスに同化)
・コジェ
・マスタヴァ


こうして列挙した限りでは、他に比べて米料理が少ないながらも、言うほどは米の料理も決して少なくない様な印象を受ける。
しかしここで注目すべきは、これら料理の詳しい内容と食べる頻度を挙げた時に、印象がかなり変わってくる点である。
肉料理や小麦料理は主食・主菜クラスで頻繁に、ほぼ毎日食卓に上がる、又はみんなが大好きな、腕を振るって作られる楽しみのご馳走であるのに対し、米の料理はプロフ以外、簡単な朝食又は庶民的な食堂のメニューだという事である。
ただ一点、下から2番目のコジェに関しては、ナウルーズ(ゾロアスター起源の、ペルシャ〜中央アジア一帯で祝われる春祭り。日本で言うところの春分の日)に食べる、ナウルーズ・コジェという、何種類もの雑穀が入ったコジェがあり、それは特別なお祝いの席の料理だ。
上に、米の粥やスープを何種類か挙げたが、日本の米の使い方とはかなり違う為、参考までに米の粥やスープがどんな調理法によって食卓に上がるのか、幾つか挙げておこう。


・рисовая каша (米の粥)…砂糖と牛乳を入れ、米から粥を作る。朝に食べる。
・рисовый суп (米を入れたスープ )…肉(牛・鶏)からとったスープにじゃがいも、人参などを入れた後に、米を入れる。
・көжө(コジェ…米粥の一種)…米を水から茹でて、塩やヨーグルトを入れて食べる。

また、米の料理として上に挙げたガンファンは、ドゥンガン (キルギスに多く住む、中国系の回族) 又はウイグルを起源とするとの事だが、キルギスの料理として根付き、庶民の食堂などでも食べることが出来る。
ちなみに、これら米料理を食べる際にも、もちろん普段通りパンも一緒に食べる。


この様に、ほぼ一面が肉・乳製品・小麦で覆い尽くされているように見える北部でも、なぜキルギスやカザフスタンにおいてもプロフはこんなに代表的な料理になったのだろうか?


カザフスタンは広大な土地を持ち、地方によってかなりばらつきがある為、ここではキルギス北部のケースを挙げる。
主に東西をウイグルとウズベキスタンに挟まれたキルギスでは、ウズベク人やウイグル人などから非常に多くの影響を受けて伝わり広く定着した数々の料理の中でもプロフは、キルギスにおいてもお祝い(праздник)や多くの人が集まる時には必ずと言っていいほど調理され、振舞われる。
それぞれの家庭によって、プロフをよりたくさん食べる家庭とベシュバルマクを頻繁に食べる家庭とがある様だが、南東部に近付けば近付く程、ウズベク人の影響が強くなる為か、プロフの割合が高くなってくる様だ。
その為か、それとも比較的都市部ではプロフがベシュバルマクよりも洗練された料理の様に思われ好まれるのか、ビシュケク近郊の各家庭では圧倒的にベシュバルマクよりも、プロフの姿を見かける事の方が多かった。
やはりキルギスにおいてもプロフは、生活に欠かす事の出来ない代表的な料理となっている。
逆にベシュバルマクは主に、日常よりもお祝いの席や来客時に食べる伝統的な料理として捉えられている様な印象を受けた。
また、キルギス人やカザフ人のベーシックなプロフは、ウズベキスタンのそれとは異なっている点もある。
キルギスでは、クミンなどのスパイスなどがあまり使われず、ニンニクもあまり入らない。
遊牧民がベースになっている地域のせいか、伝統的な調理方法や味付けはかなりシンプルになる傾向がある。
キルギスやカザフスタンの味付けは、プロフに限らずウズベキスタンなどから比べるとシンプルだと言ったが、反面現在の料理の概念を反転させる様な調理法を持つ料理がたくさんあるとの事だ。
現在、私達の知りうるところの料理とは、たくさんの要素を巧みに、複雑に組み込むことによって織り成される世界が芸術的だと賞賛され、世界の主流と言われている料理の調理工程は、盛り付けに至るまで非常に複雑化しているが、キルギスやカザフスタンの伝統的な遊牧民の食文化の中には、極めてシンプルな素材を何日もの間、驚くほど長時間煮込んだりする料理も根強く存在している。
両者は対極にありながら、それぞれに芸術品の様である。
これはカザフスタンでも概ね同様のだが、しかし都市部の事情はまた少しずつ違ってくる場合もある。
それは一体どんなものなのか?

次週に、その一例を挙げよう。


庄司/藤田 由美子

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