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太地町で人生初の鯨を食べてみた🐋

駅メモで温泉むすめコラボイベントが行われていたおかげで行くことになった紀伊勝浦。
コラボでんこ、南紀勝浦樹紀を早々に獲得した私は、南下して太地町へ向かうことと致しました。

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コラボでんこ:南紀勝浦樹紀

とてもマイナーで和歌山で最も面積の小さい町であり、恐らく関西圏と中京圏以外の人には存在すら知られていないと思われる自治体ですが、ここは他地域には見られない、変わった伝統があります。
それが捕鯨文化。
ご存じ、日本は2019年にIWC(国際捕鯨委員会)から脱退し、商業捕鯨を再開することになったわけです。太地町は日本でも数少ない商業捕鯨を行う町の1つとなっています。
多分、2019年当時は私もIWC脱退に危惧をしていたと記憶してます。
何せ時の政権が安倍政権でしたからね。露骨なイデオロギー型総理というのが、また昭和の国際連盟脱退を想起させるのに十分だったわけです。
時は流れ菅政権となった今。想像に反してガースーはイデオロギー型では無かったため、幾分か冷静に(?)捕鯨を見つめ直すことも出来そうです。
「まぁ賛成するにも反対するにも一度は食べてみてから判断せんと」
という考えもあったため、太地町で一度、鯨を食べてみることにしました。

🐳味は独特の香りが口の中で広がる

太地町が捕鯨の町と言っても、そこかしこで鯨を食べられるわけではありません。というより、太地町は飲食店の数自体が少なく、鯨を食べられるのは食事つきの旅館か、道の駅たいじ、他少数の飲食店に限られるのです。
一応見かけた飲食店は全て鯨を扱ってはいましたが、言うほど鯨食を全面に押し出すメニューは見ません。
取り合えず私は道の駅にて鯨食を試してみることにしました。

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注文したのは鯨カツカレー:900円です。
鯨の肉は衣越しでも黒い肉であることが分かります。
食べた感触としては、独特の香りが口の中で広がり、牛肉や豚肉と比べると癖がありますね。あまり食べなれた味でも無いので論評し辛いですが、美味しいとまでは思わなかったです。不味いとも言えないですが、癖のある食感です。

🐋賛否はともかく寄食・怪食の類になるかもしれない

道の駅内レストランで他のお客の注文している食べ物をザッと見てみたのですが、鯨を食べる人があまりいないんですよね。割と普通のうどん、そばを食べる人が多く、鯨メニューを頼んでる人があまりいませんでした。
「太地町には鯨を食べる伝統がある!」
これは確かなのですが、太地町の人口が少ない上、道の駅に来るお客も鯨料理をあまり注文していない。
以前、箱根に行った時に「おおば」という店で芦ノ湖定食というものを食べに行ったことがあります。これはその日芦ノ湖で獲れた魚を使った天ぷら料理なのですが、その中にはブラックバスも含まれます。
んで「ブラックバスを食べる」なんてなった時に、周りのお客が「え?!」って反応したのを覚えてます。
「なんで鱒も食べれるところでブラックバスなんか食べるのか・・・」
と言わんばかりの反応で、周りからすればブラックバスは寄食・怪食の類だったわけです。
「商業捕鯨を再開した」とは言ったものの、積極的に注文するお客があまりいなかったことを見るに、鯨もまた、普通の人にとっては寄食の類なのかもしれません。鯨肉も高いですし、隣町の那智勝浦町は鮪の産地ですから(そのため温泉むすめ:南紀勝浦樹紀の特技が鮪の解体です)美味い鮪を食べれるところで、わざわざ鯨を食べることも無いってわけです。
勿論メニューとして並んでる以上、全く需要がないわけでは無い筈ですが、商業捕鯨をしていなかった30年間の間に、日本人の食は大きく変わったのではないでしょうか。

🐳黙ってても捕鯨は廃れることも有り得る

賛否以前の問題として、捕鯨文化を維持をするのにはまず、単純に漁師の成り手が必要です。正直なところ、少子高齢化の日本、ここが一番怪しい。
特に社畜化社会となった現代、フリーランス的な生き方になる漁師は成り手不足に陥りやすいような気がしています。
これに加え、捕鯨は専用装備が必要なんです。技術が無いと厳しく、装備にもお金が掛かる。その上、日本人の食生活は変化したため、単純に採算を考えると割に合わないんじゃない気がします。
幾ら南紀と言っても白浜を中心に観光やワーケーションで盛り上げる力のある西南紀に対し、東南紀は衰退が著しく進んでいるのが感じられます。
高齢化率にしても太地町は40%を超えており、技術の継承が難しい状況にあることは、想像に難くありません。
「商業捕鯨を再開した」とは言っても、鯨を食べる需要がすぐに増えるわけでもなく、採算が取れるわけでもなく、技術継承が難しいという課題があるのではないでしょうか。
よって賛否以前の問題として、技術継承すら厳しいというのが、太地町の置かれた現実ではないかと思うのです。
鯨は大きいですし、1頭の鯨を捕まえるのには単純人数も必要です。高齢化率を考えてみても、技術継承自体が難航することも有り得ますね。

🐋魚霊供養の概念は白人/都会人には理解し難いかも

太地町のお隣、那智勝浦町には、魚霊供養碑というものがあります。日本の昔の人は「命を食べる」ということの責任をよく考えて食べていたということでしょうね。

刃牙の中で範馬勇次郎が「何を前にし、何を食べてるのか意識しろ。それが命食う者の責任だ」と言っていたシーンがありました。
今の国連関係の動きって言うのは、概ね白人のルールに則って回っていると見て良いと思います。少なくとも大航海時代以降を見ると、白人は征服主義的な要素があって、キリスト教の布教と相手国の制圧をセットでやってきたわけです。
現代においては個々の白人ベースでは良い奴もいるし、悪い奴もいるってのは当然なんだけど、大きな括りとしての白人思想は「俺たちの考えに従えない奴はおかしい」というものがあるんじゃないかと思います。
加えて、都市化が進んだ現在、日本人の中においてさえ「食べ物に感謝をする」という思想は廃れてきたんじゃないかなと感じるものがあるんですね。
なんだかんだで都市部は「金さえあればなんでも手に入る」な世界ですからね。物は大量に供給される上にデフレ化ですから、よほど貧困を経験してないと、食べれることの有難みっていうのは感じ辛い環境にあるのではないでしょうか。
魚霊供養碑というのは、やはり漁師的な発想で存在してるわけです。
「命を食べさせていただく」ということに感謝をし、だからこそ魚霊を供養するわけです。この感覚はキリスト教的な価値観や、都会的な価値観では、理解が難しいのではないでしょうか。

🐳やっぱり駅メモのイベントは愉しいし時に有意義

鯨食の賛否を語るにしても、現地のことは何も知らずに賛否を語るというのも、考え物かもしれません。
「日本の伝統だから賛成。他国は口出すな(でも自分は食べたいわけじゃない)」
「単純に理解できない(気持ち悪い)から反対」
「鯨は知能があるから反対」
色々あると思うのですが、ネット政治って概ね都会的な価値観で物事を議論してるんですよね。あくまで都会目線なので、地域のことなんて考えちゃいないわけです。

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駅メモで現地に行かないといけない系のイベントがあったからこそ、こうして鯨食についてのことを考えることもでき、ある意味でスマホゲームのイベントによって社会的な課題のことを考える時間を持てたとも言えます。
単純に観光産業を潤す意味でも価値のあるゲームではありますが、現地に行くことを通して地域社会のことを考えることが出来た点でも、温泉むすめコラボイベントは有意義なものだと思います。
来年の3月まで南紀勝浦樹紀が獲得対象になってますから、勝浦・太地に行って、鯨食の是非や地域の課題を見つめ直してみるのもいかがでしょうか。
私は今日のワイドビューで帰ります。

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