「普通」を疑え。(12/21執筆)
「普通」というのは便利な言葉だが、
使いようによってはとても恐ろしい言葉でもある。
ということを知らない人が、
すこし多すぎるような気がする。
10月の半ばから始めた、
ホテルのレストランでのアルバイト。
普段はわりと落ち着いた店だが、
休日の昼など、大人数の予約で埋まっている日はバックヤードは大忙しになる。
入ってから数週間は何をしていいのかまったく分からず、右往左往したものだ。
お皿や食器の種類が多く間違えやすいので、どうしても分からないことがあれば近くにいるスタッフを捕まえて質問していたのだが、
ある社員に質問すると、必ずこう付け加えられた。
「普通に考えたら分かるでしょ、こんなこと。」
こう言われてしまうと、
わたしは一気に突き放されたような気持ちになる。
単にわたしがバカなのかもしれない。
少し考えれば分かったのかもしれない。
しかし、ただでさえ慣れない仕事で、
失敗を未然に防ぐための質問にそう返されては、なす術がなくなってしまう。
また、その社員は、機嫌の悪いときにはスタッフ一人一人の些細なミスにすべてツッコミを入れ、先ほどのセリフを繰り返す。
普通に考えたらわかるだろ。
もっと常識的に考えなよ。
彼は、仕事の上ではとても優秀だ。
その優秀さゆえに、想像力が足りていないとわたしは思う。
その職場に何年も務め、経験豊富で、知識量も膨大なベテラン社員の「普通」と、
入って1ヶ月足らずの、未経験で知識もないアルバイト店員の「普通」は
違うものなのではないか。
経験や環境、文化の違いによって「普通」という価値観は生まれる。
だから、自分のなかの「普通」が、
他人にとっても「普通」とは限らない。
例えば、テレビのリモコンの呼びかた。
わたしの実家では「ピッピ」と呼んでいて、それが「普通」だと思っていた。
一人暮らしを始めたころ、友人が泊まりにきたときに「ピッピ取って」と言ってまったく通じず、衝撃を受けた。
例えば、トイレのマナー。
日本ではトイレットペーパーは便器に流すのが「普通」だが、
中国や南米などの一部地域では、紙は流してはいけないのが「普通」だ。
いま、日本の観光地でこの違いが問題になりつつある。
「普通」とは、
こんなに曖昧で不確かな言葉なのだ。
「普通」の一言で片付けるのは簡単だ。
しかし、それは同時に、
自分の価値観を相手に押し付け、
考えることを放棄しているのではないか。
「あいつは何もわかってない」
と1人で苛立つ前に、思い出してほしい。
「普通」という言葉だけでは、
あなたの考えは伝わらない。
「普通」を疑い、相手の「普通」を想像することこそ、
よりよい人間関係の第一歩ではないかと、そう思っている。
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