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フリーメイソンとは結局何だったのか?③~京都とフリーメイソン

このシリーズの前回までの投稿はこちら、


今回のテーマは、京都とフリーメイソン。
千年続く"古都"京都と、世界で最も有名な秘密結社、フリーメイソン。
一見、何の関わりもなさそうなこの2つには、意外な接点があります。

実は京都にも、フリーメイソンのグランドロッジが存在していて、
実際にそこに出入りしたことを公言している人もいるのです。

◆高須医長も通った、『京都御門ロッジ』

高須クリニックで有名な、高須院長は、自分がフリーメイソンのメンバーであることを公言しています。
当初は愛知に住んでいることもあり、名古屋の鳥居ロッジを紹介してもらったものの、ちょうど改めて立ち上げ直した京都の御門ロッジが人材不足とお言う事で、そちらから入会する事になったそうです。

入会から約4年もの間、毎月1回は京都のロッジへ通い続け、
その結果、ロッジを代表する立場「Worshipful Master」に選ばれ、
現在では高須院長が、入会希望者を面接する立場になっているそうです。

◆京都には古くからグランドロッジがあった?

上の記事では、現在の京都の御門ロッジが、1回たたんだところを改めて立ち上げたものだという事で、古くからフリーメイソンのロッジがあった事が示唆されています。

以前にあったロッジというのは、恐らく三条神宮道にあったとされる、
「京都ロッジ(ロッジNo.#5)」の事だと思います。

現在運営されている「京都御門ロッジ(ロッジNo.#23)」は、
三条神宮道沿いの東山の辺りにあります。

一般の建物なので場所を詳しく書けないなと思っていたのですが、
日本グランドロッジのホームページには住所がばっちり書いてありましたw

http://www.grandlodgeofjapan.org/lodges-j.html


◆江戸時代には既にフリーメイソンが・・・

この建物は老舗料亭として知られる美濃吉の「本部」ビルだそうです。
ちなみに、美濃吉が創業したのは今を遡ること300年前の享保年間で、
あの人気時代劇『暴れん坊将軍』で知られる徳川幕府八代将軍・吉宗の時代です。

ちなみに江戸時代後期に制作された文化遺産の中には、
箱の上面にフリーメイソンのマークが蒔絵で描かれた文箱も存在していて、
長崎、もしくは京都で制作されたと言われています。

日本の最初のフリーメイソンは、1864年のオランダ留学中に入会したという西周だと言われておりますが、もしかしたら江戸時代には既に京都にはフリーメイソンの息がかかった人物や組織が存在していたのかもしれませんね。

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