にくきゅう

皆様はじめまして。 頚椎症と診断されて、長年温存的治療を行っていましたが、ある日耐え…

にくきゅう

皆様はじめまして。 頚椎症と診断されて、長年温存的治療を行っていましたが、ある日耐えられない程の激痛に襲われ、しばらく休職となり、温存的治療では社会生活ができないと判断。激痛と不安に耐える日々を送る中、外科手術を行う医師に出会うまでと今現在を綴る事としました。

最近の記事

「頸椎性脊髄症の男」ChatGPT作

彼はトリガーポイント注射と星状神経節ブロック注射を受けにペインクリニックに通院する日々を送っていた。長い間、看護師や医師と共に、苦痛と向き合いながらも、希望を失わずに生きていた。 しかし、そんな彼にとって、毎日の通院は人生の意味を問いかける場でもあった。「なぜ、私はここにいるのだろうか?」「私は何を望んでいるのか?」彼は、深い哲学的思考に耽っていた。 彼が見た景色は、人々が苦痛から逃れようとする場ともいえるが、また、自分自身と向き合い、人生の意味を問いかける場ともいえる。

    • 脳神経外科クリニックにて

      MRI画像診断さて、退院後に自費でMRI画像を撮ってもらいクリニックの医師に判断を仰ぐ事とした。 撮影が終わり待合室でしばらく待っているとMRI撮影後に診察室へ呼ばれた。医師の所見で、吾輩の頸椎はかなり後湾していて脊髄を圧迫しているので外科手術を希望するのであれば紹介するとのことだった。 しかし、温存的治療を希望していたため、他の方法はないものかと他院を探すこととしたのだが、その時の判断は今思えば間違っていたのではないかという思いに駆られる。 某大学病院で ここから手

      • まさか!

        構造欠陥だな腰の痛みも落ち着いてきたころである。 吾輩は1階のリハビリ室で退屈ではあるがストレッチを含んだリハビリを毎日決まった時刻に行っていた。 順調に回復していたのでそろそろ退院かもしれないなと、その日を待ちわびてストレッチをこなしていたのである。 しかし、一つだけ気がかりなことがあった。指先が痺れるのである。 さてそろそろ退院しても良いだろうという事になった。 そのころである。 首もか・・・ 医師「あんた、もしかすると首も良くないかもな」 吾輩「エッ・・・首」

        • 神経根ブロック注射って・・・

          さて、やっとの思いで病院に戻り事情を医師に伝えた。 しばらくは,、ベッドで安静にしているよう指示を受けたのでそのようにしたのであった。 結果、今度は神経根ブロック注射を行うこととなった。 効果のありそうなネーミングである。 神経根ブロック注射を行う当日になった。若干の不安を抱えながら、まだ痺れが強い右足の状態でゆっくりと歩いて1階の処置室に入った。 処置室には医師と看護師1名が待ち構えており、ベッドに横たわるよう促され、それに従い横向きに寝転んだ。 「一瞬痛いけど我慢し

        「頸椎性脊髄症の男」ChatGPT作

          「首もおかしいのでは」とその医師は言った

          整形外科の牽引に行く以前のお話が、スッポリ抜け落ちていたことに 気が付いたのであった。 本日は、そのあたりを2回に分けて少しばかりのユーモアを交えながらつらつらと綴ることとしよう。 頚椎症脊髄症になる以前に、腰椎ヘルニアで緊急入院していたのである。 今でもはっきりと覚えている。 それは、出勤しようと玄関の扉を開けた瞬間の出来事だった。 腰部にビシッと激痛が走り、その場にうずくまり動けなくなった。 腰が全く伸びなくなったのである。 取り急ぎ、救急車を呼ぶほどではないと判

          「首もおかしいのでは」とその医師は言った

          はじめまして

          頚椎症、頚椎症性脊髄症で日々苦しんでいる方々に、私が長年経験した様々な治療法や最終的に受けた術式に至る経緯や結果をお伝えできたら、少しは同じ悩みをお持ちの方々に参考になるのではないかと思い書くに至った。現在、術後約3年である。 ネット上では様々な情報があり、まさしく玉石混交の様相を呈しているため、振り回されていらっしゃる方も少なくないのではないかと。 実際、私が行った術式に対しても、正確な情報は皆無であったのである。 かれこれ20年ほど前の事である。「ビリビリビリ」左手

          はじめまして