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ゆえニー

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それは思考の断片を搭載している
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記事一覧

燃えかすと暴れ川、そして虐殺が起こる(森達也監督映画『福田村事件』評)

はじめに 一九二三年、九月六日、千葉県の福田村で香川県から来た行商人が朝鮮人と間違えられ…

えもいえ
7か月前
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憲法9条の擁護 あるいはウクライナは(ある意味で)憲法9条をもっていながら攻め込…

(全文読めます。)  2022年2月24日、かねてから国境周辺で大々的な演習を繰り返して…

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えもいえ
2年前
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「集まるのが大事」第一回合宿勉強会の記録+(政治的・宗教的)自己紹介

 以下は七月三日から五日にかけて「集まるのが大事」と銘打って行われた合宿勉強会の記録であ…

えもいえ
3年前
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『大失敗』第二号の感想+病者の自己解剖

 若干の尿意と、空を蒼く染める夜明けの光に、私は目覚めた。それは四時ごろで、私はまだ眠っ…

えもいえ
3年前
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北一輝と家父長制的フェミニズム

 つい先日、「生殖コスト」という語がツイッターのフェミニストの口から出てきてちょっとした…

えもいえ
4年前
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ネットサンガの夢(あるいは悪夢) 【佐々木閑著『ネットカルマ』書評】

『ネットカルマ 邪悪なバーチャル世界からの脱出』(角川新書)。  仏教学者佐々木閑によっ…

えもいえ
5年前
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西田幾多郎『善の研究』を読む 純粋経験についての哲学的考察がなぜ同時に善の研究でもあり宗教哲学でもあるのか

 以下の文章を院試のために提出する論文に組みこむ際若干改めましたので是非こちらをお読み下さい。おおよそは同じですが「判断すら加わらない前」についての考察が異なります。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― はじめに  經驗するといふのは事實其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てゝ、事實に從うて知るのである。純粹といふのは、普通に經驗といつて居る者も其實は何等かの思想を交へて居るから、毫も思慮分別を加へない、眞に經驗其儘の狀態をいふのであ

風景と身体 【大木雄太舞踏公演「karada no fukei」感想】

 「Esse est percipi」、存在することは知覚することである、と言った哲学者がいる。18世紀…

えもいえ
5年前
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「する」舞踏と「見る」舞踏【UrBANGUILD3/31舞踏ナイト感想】

 つい先日、縁あってUrBANGUILDでひらかれた「舞踏ナイト」を見に行った。  出演者の一人、…

えもいえ
5年前
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歴史という究極の民主主義

 最悪の民主主義は最良の君主制にまさるか?  民主主義はたやすく衆愚政治になりはてる。君…

えもいえ
5年前
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選択至上主義

A:どうしてあの人と付き合おうと思ったの? B:顔がよかったから B’:性格がよかったから …

えもいえ
5年前
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なぜ人は五億年ボタンを押すことができるのか

 五億年ボタンという思考実験がある。  ある特殊なボタンがあって、押すと100万円もらう…

えもいえ
5年前
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「ゆえニー」 ∴論理的自慰∴

 だれもとくをしない論理というものがある。  今日は何を食べるか、くらいの軽い話を、せっ…

えもいえ
5年前
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