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人との出会いで「人」は成長していく

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人と出会って、違いを学ぶ。その流れの中で人は成長するのだと思う。いろんな人に会って、いろんな影響を受けて「自分の色」ができる。そういう経験の回顧録です。
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記事一覧

チョコブラウニーの思い出

今から40年ほど昔。私が高校生だった頃。 当時は、バレンタインの日に、友愛の気持ちを込めて女性から女性へチョコを贈ることは、一般的ではなかった。 だから、とても記憶に残っているのだ……彼女のことが。 ❥❥❥ 高校3年生のバレンタインデー。 学年が2つ下の女子生徒から呼び出しがあり、恥ずかしそうにチョコを渡された。手作りのチョコブラウニーだった。 受け取るのならホワイトデーにお返しをしたいと思ったが、お返しをすることが「どういう意味」になるのかが気になった。 だか

結願

結願(けちがん)とは、修行の最終日のこと。 日を定めて行った法会(ほうえ)や願立(がんだて)の、日数が満ちることだ。法会とは追善供養のことであり、願立は誓いを立てて祈願することである。 お遍路と呼ばれる人たちは、何らかの願いごとを心に抱いたり、親しい人を弔う気持ちがを抱いたりして四国八十八か所をお参りしているのだ。 お遍路をすれば「叶う」のではない。結願が修行の最終日であるならば、お遍路は成し遂げるものではなく、スタートラインに立つことが整った日といってよいだろう。

思うほどダメな私ではないと気づかせてくれた場所にはもう二度と行けないから

人生には、予期せぬ出来事が起きる。思いがけず他人に影響を与えることが起きるのだ。 ワールドトレードセンタービルが、もう二度と行けない場所にならなければ、私はこの出会いが教えてくれたことを忘れてしまっていたかもしれない。 だが、毎年9月11日になれば否応なしにも思い出す。 そして私は思うのだ。 それほどダメな私ではないのかもしれないと。 「Hello there?」同時多発テロ事件が起きる遙か昔のこと。 それは、私が20代だった頃のことだ。 電話の音が一人暮らしの

野球が好きなのは伝えられなかった「ありがとう」があるから

今年は、久しぶりに「プロ野球選手名鑑」を買った。 ガッツリ野球を観たいという以外に別の目的がある。この本を手に取り、「原点に返り、新たな気持ちで生きていきたい」と思ったからだ。 幼馴染の彼と 「プロ野球選手名鑑」を初めて知ったのは、高校生の時。幼馴染の男友達が、その存在を教えてくれた。 彼とは、そもそもの相性が悪いのか、互いに譲れないところがあるのか。私にとっての彼は、小学生の頃から「なんとなく好きになれない」存在だった。 「嫌いだ」とさえ言ったことがある。だが、彼は

運命と宿命

「あなたはこの土地で生まれたの?」 唐突に老人は私に尋ねた。 「どうしてそのようなことをお尋ねになるのですか?」 びっくりした私は、その質問の意図を知りたくて、言葉を返すのが精一杯だった。 ◇ それは、ある春の日。桜の花が例年よりも早く咲いて早く散った頃だった。 桜の花を期待して訪ねてきたが、少し遅かったようだと話を切りだした老人は、私の生まれについて尋ねてきたのだ。 当時の私は、桜の名所として知られる公園の一角で働いていた。見ず知らずとはいえ、お客様である。だ

「死」を意識する病が教えてくれること。誰のために生きるのか?

大きな病を抱えると、経過観察で通院が続くことが多い。そのこと自体が苦痛でもある。 だが、それができるのも生きていればこそ。 自分の足で、自分のために、病院に通い続けること。 自分のために生きることを諭してくれた人たちに、ほんの軽く会釈する気持ちで「外来入口」をくぐり続けている。 ◇ 2000年代半ば。 あの当時は、入院するときのアンケートに「臓器提供カード」所持に関する解答欄があった。 それ自体を特別なこととは思っていなかったのだが、特別なことだと感じた方もいた

ソウルメイト

不思議な関わりのある友人がいる。 彼女は私より10歳ほど上だと思うが、年齢の詳細については知らない。 卒業した大学の名前は知らないが、専攻や学部、現在の職業などは知っている。その程度の関係だ。 それでも何か惹かれるものがあるのだろう。時々は連絡を取り、近況を知らせている。 ◇ 彼女と私の口癖は、「毎日が修行のようですね。」というもの。 人生とは修行だという意見で一致しているのだ。 そうでも思わなければ、これほどの苦しみが与えられることに納得ができないと感じるから

Dignity or Pride?

『時空を超えて出会う喜び』の後半で取り上げた、かつてお世話になった人との交流について、思いを巡らせている。 その方は今もご健在であった。住む地を変え、役職を変え、お元気にされているようだ。 ◇ 私がいくらか英語ができるという前提だったかもしれない。 その方は唐突に、 「英日辞書や日英辞書って誤訳だなーーーっと思うことが多いよね?」 と話題にされた。 会話の詳細まで記憶を辿ることはできないのだが、印象深く覚えている単語は、「Dignity と Pride」の誤訳と

答えがないなら「都合がよいほう」を選べばよい

「答えのない問題」に悩むことは素晴らしい。 20歳代の頃の私は「答えのない問題」に哲学的な響きを感じていた。人生の普遍的な悩みであるとも思えた。 このような悩みがあることは、人間らしさの価値であり、思考ができる生き物としての誇り。 ある意味、悩む自分に酔っていたのかもしれない。 30歳を過ぎてもなお、悩むことに意味を感じ、悩める自分自身に誇りすら感じていた。 だが、「答えのない問題」において「選択を迫られる」タイミングがある。途端に、「答えのない問題」に苦しむことに

「出会う」チカラ

人と人の出会い。 人とモノの出会い。 生きている間、人は出会い続ける。 人生とは出会うことであるのだ。 だが、その出会いに気づかないこともある。 出会いがあるにも関わらず。 出会いを引き寄せているにも関わらず。 気づかないフリをするのだ。 出会いとは、必ずしも好意的なものばかりではない。 過去のホロ苦い体験から心を閉ざしてしまうのだろう。 どこかで身構えてしまう自分がいる。 この出会いに気づかないほうがよいのではないかと。 だが、どれほど心を閉ざそうと

貸し借り上手

友人同士の貸し借りはトラブルのもと。お金のことであれば、それは全くそのとおり。 万が一、友人間でお金を仮に貸すことがあったとしたら返ってこないものと覚悟して渡すしかない。 しかしながら、お金以外のものであれば、上手な貸し借りによって交友が広がることがある。 ご縁の不思議これまでいろんな人との出会いがあった。 私は初対面でも臆することなく話すことができる。ただし気の合う人限定ではあるが。 そんな自分であるから、気の合いそうな人に出会うと、大切にしなければ......と

「私なんかと友だちでいてくれてありがとう」という言葉は

ステキな時間を過ごした後、友人にメールを送る習慣はあるだろうか? 私の周りでは、そういう流れが自然と生まれていた。 帰りの電車の中で高速バスの中で「今日はとても楽しかったです!」という内容のメールを一往復させる。それが習慣になっているのだ。 今から20年ほど前、いろいろなことが重なり辛い時期を送っていた。人生のドロップアウトをするしかないのかなと諦めいっぱいの時間を過ごしていた30歳代前半の頃だ。 大学時代の友人らと過ごし、いつも通りメールでのあいさつ文を送ったところ