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病人だって人間だもの

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日常の中にある「病」をテーマとしてまとめたマガジンです。自らの体験をベースとしたショートストーリー集。
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記事一覧

靴を履くことで遠くまで行けるのなら

「薬を飲むのが嫌なんです」 私がこう言うと、医師たちは、 「そうだよね」 と共感の言葉をかけてくれる。 とはいえ、患者の意思を尊重してばかりでは治療が進まない。だから、医師として言葉を選びながら「治療に必要な薬」を飲むよう仕向けてくるのだ。 けれども、医師の努力は暖簾に腕押し。ほとんどの言葉は印象に残らない。 なぜなら、薬を飲ませることがゴールの会話は、説き伏せられるか否かだけに意味があり、私がどのような感情を持つかなどお構いなしだからだ。 そんなやり取りを幾度

ヘアドネーションをした今こそ「ありがとう」をキミに伝えよう。

ヘアドネーションに興味があったものの、若い頃の私は、行動を起こすことはなかった。 ヘアスタイルをコロコロと変えたい性分だった私には、向いていなかったのだ。 ヘアドネーションへの思い 20代30代の頃は「髪の毛の量が多いですよね」「髪の毛が太くて立派ですよね」と言われることが多かった。 ヘアドネーション向きの髪質だったと思う。だがすぐに行動に移すことはなく「まぁいつかはするかもしれないけど、今は色んなヘアスタイルを楽しみたい」と思っていた。 ところが、「そのいつかは永

「死」を意識する病が教えてくれること。誰のために生きるのか?

大きな病を抱えると、経過観察で通院が続くことが多い。そのこと自体が苦痛でもある。 だが、それができるのも生きていればこそ。 自分の足で、自分のために、病院に通い続けること。 自分のために生きることを諭してくれた人たちに、ほんの軽く会釈する気持ちで「外来入口」をくぐり続けている。 ◇ 2000年代半ば。 あの当時は、入院するときのアンケートに「臓器提供カード」所持に関する解答欄があった。 それ自体を特別なこととは思っていなかったのだが、特別なことだと感じた方もいた

採血ルーティンを笑顔に変えた「袖すり合うも多生の縁」

例に漏れず、私は採血されることが好きではない。 だが笑顔で臨むことはできる。 採血にまつわる愉快な思い出があるからだ。 ◇ 採血が嫌いという理由には、痛いからということもあるだろう。だが、私の場合は、それが理由ではない。採血前のルーティンが面倒だから嫌いなのだ。 名前や生年月日の確認の他、採血前に尋ねられる言葉。 「アルコール消毒にカブレたりはないですか?」 表現は幾らか違っても、アルコールに対するアレルギーの有無の確認をされる。 何度も通っている採血室で、し

記憶の片隅に残る絶好調でハイな気分

「肥満だから無理だな」 医師の言葉は唐突だった。 肥満なのは承知している。けれども、私はドギマギした。話の流れが想定外すぎると感じたからだ。 ◇ 全身麻酔の危険因子「肥満ゆえの血栓ができる危険性」について説明を受けた。術後には、血液をサラサラにするお薬を体に入れることを優先するから、硬膜外麻酔は使えないというのだ。 硬膜外麻酔とは背面の腰のあたりから管を入れる麻酔のこと。揮発した麻酔薬が持続的に体内に入る仕組みだという。 以前の開腹オペでは硬膜外麻酔を使ったから、

オムライスが「ゴール」だったあの頃

おそらく私は「何かの目標」を立てることが得意なのだろう。 自分を上手に騙してその気にさせ、「うっかり頑張らせる」ことが得意なのだ。 ◇ 目標の立て方にはコツがある。 目標を達成する前に小さなご褒美をあげること。目標を達成するためのゴールを明確にすること。 だが、このコツには、それほど拘りもない。 ただ、「漠然と楽しみ」を感じることに向かって進むとき、その道を進み切る「理由」を「目標」という言葉に換えているだけ。「目標だから」といい切って、辛い気持ちや苦しみを和らげ