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不誠実さを暴く方法

人を見限る。

その響きは決して安らかなものではない。

だが、どうしても人との関係を断ち切らなければならないときがある。それは、自分の生命を護りながら「運命を生きる」ためには関係を見直す必要と判断したときだ。

不誠実さの基準は、人それぞれだろう。だが、あらゆる不誠実さには、人と人の間で生きることを困難にする愚行が含まれる。人間関係を破壊することを安易に捉える生き癖が見え隠れするのだ。

だから私はそれを暴くことで不誠実な人をあぶり出してきた。


例えば口の軽さが不誠実さの目安になる。

「私の秘密をバラしたの?」と聞いて、そうだと言える人はまだマシだ。

だが、「私の秘密をバラしたの?」と聞いても、シラを切る人とは関係を続けていくことは難しい。

だから私は、友人知人の誠実さに疑念を抱いたなら、その人が口が軽いかどうかを暴くために仕掛けをする。不誠実さを暴くのだ。



仕掛ける罠はシンプルだ。

私の秘密の中で、本来なら絶対に知られたくないと思う秘密を一つ用意する。その秘密を、「誰にも言わないで」と強く念押しして、疑念を抱いた相手に伝えるのだ。

実際に、その秘密は、流布することに価値があり、かつ、他の誰かには知られていない事実を選ぶ。どこから漏れたかを判断できるよう、新鮮な秘密を用意するのだ。

その後、適宜、追加の情報を与える。最新のアップデート状況をチラつかせて、相手の反応を見ていく。そいて、その話に興奮しながら食いついてくるようなら疑念はさらに増す。

追加情報を反芻しながら聞いているようなら、その秘密が漏れていることは、ほぼほぼ確実になる。反芻は、追加情報を正確に聞き漏らさず受け取るために行われる。つまり、広めることを目的とした「秘密」の最新情報として伝わっていく。



漏洩の事実と漏洩先の確認は慎重に行うが、秘密の漏洩先は、たいてい共通の友人知人である。

「本当は言ってはいけないことだけど」と口止めをしつつ秘密は洩らされていることが多い。

だから、その秘密をコッソリ聞かされいた第三者は、次は自分にも打ちあけてくれるのではないかという期待をしつつ接してくるので、察しがつく。

「いろいろあったんでしょう?最近はどうなの?」と優しい声をかけてくる。そして、そのタイミングが来たら、罠の最終段階を実行を移す。

逆誘導尋問みたいな運びで会話を進める。

打ち明け話に期待して近づいてくる相手に対し、秘密を打ち明けそうな打ち明けなさそうな立ち位置で、のらりくらりと会話をかわす。すると「秘密が漏れている」と確信できる言葉を相手から引き出せるのだ。




不誠実さを知ったからといって、これまでの関係が全てチャラになるわけではない。断絶するようなことでもあれば、むしろ、関係は悪化することを経験的に知っているからだ。

不誠実さは不誠実さで覆われるため、決して表に出ることはない。だから、慎重に見極めて不誠実さに確信を持ったなら、ゆっくりと、しかし着実に距離を広げていかなければならない。

近づきすぎた関係を見直して、緩やかに離れていく。それは、自分の生命を護るために必要なこと。

人と人の間で生きている限り、不誠実さを内に秘めた人との関わりは、身を亡ぼす危険を孕む。その危険を冒してまで付き合う他人など、この世には存在しないのだから。


いっときでも親しく付き合ったことを悔やむことはない。過去の自分の選択を肯定して、今の自分の選択をも肯定する。人と関わりながら生きるとはそういうことだ。

会者定離 えしゃじょうり

表向きは友人知人としての関係を継続させながら、秘密裏に別れを告げる。

親しく過ごした時間に感謝して、心の中で葬り去る儀式を密やかに行い、より一層力強く未来へと進んでいこう。


二度と心を開くことはない「友人」と呼んでいた人たちに、哀悼の意を捧げつつ。