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認知症/「忘れん坊だけどなにか?」って世界になればいいな

昨日、久しぶりに朗子さんの訪問に行った。
今日は、朗子さんとお散歩に行った時のことをちょっと書いてみようと思う。


朗子さんの病名は、アルツハイマー型認知症。
私たちは、受け持ち制ではないので、訪問がしばらく開いてしまうことがある。1年ぶりに会った朗子さんは、1年前とそれほど大きな変化はなかった。

4年前に訪問が始まった頃から私たちの顔も名前も覚えられない状態だった。
5分前のことを覚えていられない短期記憶障がいがあった。

“短期記憶障がい”
短期記憶障がいとは、認知症の中核症状の一つ。数分から数時間程度の記憶障がいのことを指します。新しいことを覚えられなくなる症状。
(昔のことは覚えている)

久しぶりに会う朗子さんは、少しだけ痩せたように感じた。同じく認知症だった亡き伯母に似ているので久々に伯母に会った気分にもなって嬉しかった。
4年前から誰が来ても「訪問看護師」軍団の一括りで覚えてくれているようで、感動的な再会シーンとかはなく、自然にお部屋に入れて頂いた。

「朗子さん、お元気そうですね。全然変わっていらっしゃらない」というと「頭はパッパラパッパパーだけどねぇ」といつものように上目でぺろっと舌を出して戯けて返事をしてくれた。よっしゃ、朗子節健在!と思いながら。

以前は、思い出せないことや孤独やうまくいかないことなどが辛かったのだろう、新聞紙を床じゅうにビリビリにしてばら撒いていたり、泣いたりすることがあった。


そんな様子を見て娘様ももう自宅では看れないかも・・・とこぼしていたこともあった。それでも今は、小規模多機能施設を利用してうまく介護されている。

“小規模多機能型居宅介護”
介護保険法で定めるサービスの一つ。中等度の要介護者となっても在宅での生活が継続できるよう支援する小規模な居住系サービスの施設。デイサービス・訪問看護・訪問介護・ショートステイを組み合わせていき、在宅での生活の支援や機能訓練を行う月額定額制のサービス。

そんな朗子さんとお散歩。屋外に車椅子で行き、平坦な場所で杖歩行練習という予定を立てた。

車椅子で少し行ったところに素敵な憩いの場がある。
この場所には、看護師ともご家族ともしょっちゅう来ている場所なのだけど新鮮だったようだ。「昔はよく来たけどね、最近は全然来てなかった」と。

大樹を車椅子から見上げて「この木は、こんなに小さかったのに大きくなったわねー」と車椅子の車輪のあたりの高さを指した。いやいや、そんなに小さくはなかったはず(笑)


2人で思い切り森林浴をした。「大きな樹。気持ちいいねー。」私達の他愛もない会話を大樹が聴いてくれてるそんな時間でもあった。

杖で優しく地面をつきながら大樹の周りを一歩一歩、歩く練習をした。暑い陽射しも大きな樹の大きな腕で何も心配することなく守られていた。朗子さんも部屋にいる時とは違った寛いだ表情だった。

しばらくして娘様の待つ朗子さんのご自宅に帰った。ピンポンを押さないのに娘様は、玄関のドアをあけてくれた。
「どこへ行ってきたのぉ?」と敢えて聞く娘様。
「あーら、どこだったかしら?」と笑う朗子さん。
それを聞いて娘様は「もう忘れちゃったの?」と苦笑い。
そう言われた朗子さんも同じ苦笑い。

全く思い出せないようだけどそんな時の為に写真を撮ってある。
朗子さんの車椅子の高さで見えていた大樹の写真を。

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「あー。そうよ、さっきここに行ったのよ。ここ!」と思い出せたのがとても嬉しそうで得意顔だった。
娘様は、それを聞き、クスッと笑い、嬉しそうだった。

記憶の定着の為には、<復習>することで定着しやすくなると言われている。いい意味でも悪い意味でも心が動いたことに対しては、他のことより記憶に残りやすいようだ。この大きな大きな樹は、朗子さんの心を動かしてくれたのかもしれない。

私は、認知症の方に記憶を定着させようと必死になる必要はないと思っている。
ただ、ご家族のことを思えば、一生懸命やっている介護や日々の出来事が何も記憶に残ってくれていないとしたらとても悲しい事だとも思う。こうやって写真を見たら一瞬思い出せたりする一面を見てもらえることで希望もつなげる。(一方、デメリットもあり、この場面で写真を見ても思い出せないことも出てくると思うので見極めは必要)

朗子さんにとってもいい瞬間の思い出だから記憶を再現することは、心地いいのではないかなと思っている。また直ぐに忘れてしまうとしても全然構わない。心地いいことが大切だから。

記憶を定着させることが重要ではない。覚えていてよ!って思うのは、周りの人間たちのエゴになってしまうのかもしれない。
朗子さんが、以前に忘れてしまうことを悲しんで新聞を切り刻んで床にばら撒いたことからもわかるようにご本人だって覚えておきたいのはやまやまなんだから。

認知症であっても認知症でなくても・・・
<今>を楽しむ・味わいきることができたらいいなぁと思う。

記憶を沢山抱え込んでいるより、今をちゃんと楽しめている人の方が幸せそうに見えるのは私だけだろうか。

この忘れん坊の病は、今この瞬間を生きなさいというメッセージなのかもしれない。いや、きっとそう!
これから高齢化社会に伴い、認知症の人も益々増えていくと言われている。記憶がパンパンになったままじゃなくて少しずつ手放していくことも悪いことではない。

「今までの長い人生、脳みそ使いまくっとったから、もう脳みそ休ませてるねん」「忘れん坊だけどなにか?」と開き直らせてくれる優しい世界になればいいのにと思っている。
自分の将来のためにも優しい世界になっていてくれ〜!

『気象庁は梅雨入り宣言をし損なって真夏になってしまったんじゃないか疑惑の6月』のとある日のおはなしでした。

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最後におまけ


認知症の方の想いや記憶についてスピリチュアルな視点で貴重な体験をしたことがあった。もし、スピリチュアルなことも大丈夫よと言う方は、以前の記事を読んでいただけたらと思う。私は、この体験で認知症の方へのアプローチや考え方が変わったので改めてシェアしたい。認知症の介護や看護で大変な毎日を送られている方に届けばいいなぁと思う。

今まで、無料で一時的に公開していたので、既に読まれた方もあったと思いますが、情報が限定されやすい内容を含む記事なので、おっちゃんと家族の為に再度、有料にさせて頂きました。

最後までお読み頂きありがとうございます。




ありがとうございます😭あなたがサポートしてくれた喜びを私もまたどなたかにお裾分けをさせて頂きます💕