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自担を尊敬しないというルール

催眠術とか自己暗示にかかりやすいタイプなんだと思う。

覚えているのは高校の期末試験の時。
熱はないものの、朝から明らかに具合が悪かった。
寒気が止まらず頭がぼーっとする。
でも試験には意地でも行かないといけない。
とにかく着込んで薬を飲んで、倒れるように席に着く。
確かこの日は古典の1教科のみ。
半ばおまじないのように(大丈夫、この時間だけはちゃんとやれる)と自分自身に言い聞かせてた。

そうしたら、本当に試験が始まってからの1時間だけはスッと憑き物が取れたように体が軽くなって寒気も引いた。
ずいぶん昔の記憶だから補正されている可能性もあるけど、とにかく試験を乗り切れたのは事実。試験結果は覚えていない。


これだけが理由ではないけど、口に出す言葉、反芻する思考には意識して気を使うようにしている。
仕事、プライベート、そしてある意味特に意識をしている場面がもう1つ。


私はいわゆるジャニオタで、最初にジャニーズに興味を持った6歳頃から、気づけば結構な年数をオタクとして過ごしている。

生活の変わり方含めて熱量には大分波があったし、ほぼ触れていない期間もあったけど、だからこそここまで総じて楽しくオタクをできているんだとも思う。

あとは、オタクをしていく上でここ数年自分の中で決めているのが

「自担を人として尊敬していると言わない/思わない」

という意識を持つこと。(ジャニーズでは、好きなタレントやグループ、最近で言う「推し」のことを昔から「担当」と呼ぶ文化があって、自分の担当=自担 です)

自担を尊敬の対象としているファンの方を否定しているわけでは決してなくて、自分の性格を考えた時、私にはこの意識を持つことが大事だと気づいた故の結果です。

ファンだった人たちから離れるきっかけって、ライフスタイルが変わって自然と遠ざかったとか、もっと好きな人たちが見つかったとかいろいろあるけど、その中に「自分が信じていた姿と違うものを見せられて失望したから」っていう理由もあると思う。

こう書くと大げさだけど、例えばテレビやSNSでの発言に違和感を覚えて、それが積み重なって嫌気がさしてしまうとか。
こういう時に感じた自分の感覚は最終的に従った方が良いというのが持論だけど、前段階として、社会的・常識的にアウトな発言でなくて好みの問題の場合は、そもそも自分の理想が凝り固まってしまっていた可能性もあるんじゃないかと思っている。

冒頭にも書いたけど、わたし自身は自己暗示にかかりやすいタイプだと思っていて、多分気を抜いたらいくらでも「この人はこういう人なんだ」って思い込んでしまう。

過度な期待をすればするほどそうじゃなかった時の振り幅で失望の度合いも大きくなってしまうから、最初からその期待をしない方が平和に過ごせるんじゃないかと思う。

なんだか冷たい言い方に聞こえてしまうけど、そもそも自担と自分は恋人でも友だちでも仕事仲間ではなく、あくまでアイドルとファンという関係で、わたしたちが見ているのは彼らという人間のほんの一面でしかない。

言っちゃえば周りにいる人だってわたしが知っているのはその人の中の一部ではあるけど、実際に話してわたし個人に向けられたその人の考えや思いを聞けるという点では、メディアに乗せて第三者によって切り取られる発言を受け取ることがほとんどのアイドルとはやっぱり大きく違う。

今でこそSNSを始めとしたメディアで彼らの私生活だったりパーソナルな部分を覗ける機会が増えたけど、もともとは歌って踊る姿だったり、お芝居をしている姿、バラエティーでの姿がわたしたちがお金を払って受け取っていたある意味対価に相応するものだった。
個人的には自分が期待したくなるのもこの表舞台で活躍している姿で、人格者であるとか、常に品行方正であるかどうかとかは、こちらが口出しをするところではないと思う。

もちろんメディアを通して素敵だなと思う考え方に触れることもたくさんあるけど、あくまでその瞬間での気持ちに留めて、見えていない部分を勝手に補完してどんどん完璧な人間像を生み出さないように心がけている。

幸せでいて欲しいし、関係者や共演者から自担の人間性を褒められるとついこっちまで誇らしい気持ちにもなるけど、そこで自分の中の理想を勝手に膨らませて、それに反する言動を目にして失望してしまうのはなんだかもったいないなと。

本人の態度によって招く結果は良くも悪くも彼ら自身に返ってくるし、多分本人がそれは1番よく分かっていると思うから、これからもわたしは人として尊敬はせずに、のんびり楽しくオタクをやっていきたい。






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