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ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書』

歯車のような生活。
どうしようもない毎日。
「じぶん」というものが、少しも見出せない日々。
そんななかで、読み始めた。

著ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』岸本佐知子訳

網戸に綻びを一つでもみつけたら、鬼の首をとったように報告してやろうと思っていた。でも本を読んだ後は、そうやって綻びを見つけるじぶん、鬼の首を取ったかのように報告したい自分が愛おしくなる。綻びのことはまあ、ほころび方次第では記憶に留めて人に話そう。短編としての「掃除婦のための手引書」の読後感はそんな感じだ。お気に入りの一文をいくつか紹介したい。

「いいか兄弟よく聞きな… 俺もその地獄を見てきた人間さ。だからあんたの苦しさはようくわかる」トニーは目を開けなかった。他人の苦しみがよくわかるなどと言う人間はみんな阿保だからだ。__p13

寄り添う言葉が寄り添えないなんて本当によくあることなのに、返す言葉で「みんな阿呆」と斬ってしまうのだから、奥歯を噛み締めて笑ってしまう。

窓が済むと、お次はパズルのピース探しだった。緑色の毛足の長いカーペットを一インチ刻みに探していく。クラッカーのかけら、『クロニクル』紙の輪ゴム。わたしはわくわくした、こんなに楽しい仕事ははじめてだ。彼女はわたしが煙草を吸おうと吸うまいと、"屁のかっぱ"なので、床の上を這いつくばりながら吸い、自分といっしょに灰皿も動かした。__ p63

短編集は大概、自分に合わない作品にも出会うのだけれど、『掃除婦のための手引き書』はだいたい面白い。ゴロゴロ転がってる石ころみたいな労働に明け暮れるなかで見つけられる喜びに、素直でいていいんだ。だからこの短編は「じぶん」というものの彫像を進めるための灯りみたいに感ぜられた。

でも私はこのままでいいとか、ありのままだとかそんなぬるい内容ではない。

彼女はアル中の掃除婦。シングルマザーとして子どもたちを養うために掃除婦をしている。雇用主の目を盗んでは、睡眠薬を集めて30錠になった。15個あった瓶入りのゴマを14個にした。時折、薬物中毒で亡くなった夫ターのことを思い浮かべながら、よく死ぬことを考えている。現実は厳しい。

労働の合間に駆けつけるコインランドリーでアパッチの長と揉め事が起きる「エンジェル・コインランドリー店」
信心深いクリスチャンの学校で、先生におだてられて少し希望の見出せたのにすれ違いがおきる「星と聖人」
子どもたちの目を盗んで朝からお酒を買いに行く「どうにもならない」
不倫同士から始まった三人目の夫がヘロイン中毒になるまで「ソー・ロング」

そしてめっちゃくちゃ面白いのは、
歯医者の祖父が自ら製作した最高傑作の入れ歯を挿れるために孫の「わたし」が抜歯の助手をする「ドクターH.A.モイニハン」

断片的な一つ一つの短編が、うっすらと繋がり合い、一人の女性の人生に多彩な色が詰まっていることに読者は気づく。悲しいことばかりでも辛いことばかりでもなく、愛おしいことばかりでもなく、ままならぬ世の、ままならぬ真実を自分も生きていることを忘れるくらいのユーモアがこの本にある。血みどろの現実を透明なユーモアのセロファンで包んで抱きしめて、自分に誠実に生きていたルシア・ベルリン。彼女の短編はもっと読みたい。

好きな文章を探せばきりがないが、最後にもう一文載せて閉じる。

サリーは、「わたし」の妹。わたしは闘病生活にほぼ1日中付き添っている。そんな中で書かれた言葉。

さいきん、サリーとわたしはトンチ絵で会話をする。声を出すとサリーの肺に悪いから。トンチ絵は言葉や文字のかわりに絵を使う。たとえばVillence(暴力)ならば、ヴィオラと蟻(アント)の絵。(中略)サリーの部屋で、わたしたちはお絵描きしながら声もなく笑う。愛はもう私にとっては謎ではなくなった。マックスが電話をかけてきてハローと言う。妹がもうすぐ死ぬの、とわたしは言う。きみは大丈夫?と彼が言う。__p200

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