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障害 をどう捉えるか

ICFの考え方に基づいた上で、私は「障害」を「人間一人一人が生きていく中での生活機能」として考える。
近年まで、障害とは個人的なものとして捉えられ、表記についても、すごくデリケートな問題として扱われていた。しかし、ICFの考え方がWHOによって制定され、社会全体としての障害への捉え方が変わったように感じる。個人としての障害が、社会として、環境として、考えられるものになりマイナス面だけで考えられていたものがそうでなくなりつつある。

そもそも、ICFの考え方は、障害の有無を問わず、人の健康状態や権能に関する状況、障害の状況などを記述する、人が日常生活を送る上での「機能」が相互に作用していると考える、というものであると、私は捉えた。

ICFの生活機能モデルをもとにすると、生活機能の分類として「心身・身体構造」「活動」「参加」、背景因子として「環境因子」「個人因子」というものがあってこれらは相互に影響を与える。それぞれの項目を独立したものとして評価するだけではなく、各項目がどのように関わりあっているのか、どこを改善すれば生活機能がよりよい状況になるのか、を考えていくことがICFの考え方では重要である。

ここで私が着目して考えたいことが何度も述べている通り、「相互に」ということである。
相互に作用し合っている、ということは社会としても、個人としても、何か出来ることがあるということだと私は捉えた。「環境因子」であったら、周囲の理解不足といった人的環境、設備の整っていない物理的環境など、である。
これらは周りが社会として変わらなくてはいけないものであり、理解が必要なことである。また、個人としては、自分自分の心的状況のコントロールや、自分を理解することである。
現代の社会には障害のある人もない人も同じ社会に暮らしていて、その意味では既に「共生社会」であるが、マイノリティーの存在には生きづらい社会となっていることも事実である。
その原因として、やはり周りの環境づくりの在り方ではないだろうか。私は障害はその人を取りまく環境、人々の社会的な態度によって重さが変わっていくと考える。
本当の意味での共生社会とは互いの理解が深まり、全ての人が生きやすい社会が構成されることだと考える。ICFは決して障害を持つ人々だけの考え方ではなく、健常者である人々にも必要な考え方である。

例えば、この考え方を社会に活用するならば、障害のある方への合理的配慮や特別な配慮などの社会の環境設備に繋げることが出来たり、それぞれ障害に対する個人の理解を深めることが出来る。もしくは、私が健康状態が良くないときに自分自身にそれを当てはめることも出来たり、障害ではないが自分自身が上手くいかないことをより周りにも理解されやすくなるのではないか。
また、ICF の考え方を踏まえるということは、教育においても、障害による学習上、または生活上の困難を的確に捉えるとともに、生徒に指導をすればできること、環境を整えればできることなどに一層目を向けるようになることを意味していると考えた。

このようなICFの考え方を踏まえた社会づくりこそが、周囲の理解・支援を含め、今までも、そしてこれからも必要になる考え方であると考える。

「障害」を「障害」として捉えずに、個人の生活機能であること、社会において相互に影響し合うものとして理解を深め、誰もが過ごしやすい社会を互いにつくっていきたい。

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