私はオーケストレーター #マイクレド
マイクレド 005
"私はオーケストレーター"
今私は社長という立場にいるが、本当にこの位置にいていいのか悩んだことがある。社長というのは漫画の主人公に例えられることが多い。漫画の主人公といえば、自分の信念を押し出し「僕はこうしたい」という我をとにかく全面に出す。いわゆるワンマンというやつだ。
僕はどちらかというとワンマンタイプではない。自分自身がやりたいとや実現したいこと、ある種の頑固さはあるが、物腰柔らかく物事を進めていきたい。そんな僕は本当に社長としてこの立場にいていいだろうか。そう考えていた。
この悩みをとある方に相談したときに、もらった言葉が「オーケストレーターを目指せばいいじゃない」というものだ。
実は僕は一時期、指揮者を目指していたことがある。
小さい頃から音楽に親しんできた僕は、特に音楽を複数人で作り上げるダイナミクスに感情を揺さぶられてきた。吹奏楽、オーケストラ、合唱。形態も違えば、個々人が考えていることも違う。それでも、"曲"という共通言語を通じてお互いに共振し、その共振が大きなうねりとなって自分たち、そしてそれを聞いてくださっているお客様の感情をガンガンと揺り動かす。1人だけではない、複数人だからこその迫力があるのだ。
そして、その重要な役割を担っているのが指揮者だ。それぞれの個性を把握した上で、まとめ上げ、世界観を構築していく。その世界観はそれぞれの良さを取り入れつつも、指揮者のエゴが介在した上で構築される。だからこそ、同じ曲であっても指揮者によって全く違う曲になる。複数のエゴと個性が混ざり合い、1つの世界観を創出する面白さ、美しさ。私はそんな世界に憧れを抱いている。
そんな背景を知っているからこそ、その方は私に「オーケストレーター」という言葉をかけてくれたのだ。1人だけで作り上げる必要もない。ワンマンである必要もない。集まってくれる仲間がいて、その仲間たちと対話をしながら自分の世界観を一緒に作り上げていけばいいじゃないか。絶対的なリーダーだけが正ではないのだ、と。
今問われたら、僕は自信を持って自分の役割を「オーケストレーター」だと言う。これは自分の意思を持たないということではない。仲間と対話しながら一つの世界を共に目指そうという覚悟なのだ。
p.s.
興味がある方はぜひクラシックの聴き比べをしてみてほしい。私のおすすめはショスタコーヴィチの交響曲第5番4楽章、バーンスタイン氏とムラヴィンスキー氏の公演だ。
この交響曲第5番は日本では「革命」という副題で語られることがある。この曲の背景をWikipediaから引用しよう。
それぞれの指揮者が「革命」をどう解釈し演奏に落とし込んだのか。想像しながら聞いてみるとより一層楽しめるだろう。
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