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日本の美意識5 あはれ

「自然をもとにした日本の美意識」5
あはれ

 平安初期は中国大陸から新たに持ち込まれた密教に国家の安泰を願い、調度品や食事の形態、陰陽五行思想を基にした都造営まで舶来品であふれていた。「国風文化」といわれるが、平安朝の生活の土台となるものは、日本独自で生まれたものではなく、渡来したものをリノベーションしたものが中心であった。当時の都の暮らしから「宮ぶる」「みやび」といった、宮廷風の暮らしをあらわす語がうまれ、「雅」は現在では優雅さや上品で奥ゆかしい様子などをあらわす美意識として定着している。
みやびやかな宮廷生活では、女流文学が盛んになり、清少納言や紫式部といった、多くの女性らによって日記や物語などがつづられた。
女流文学を盛んにさせた要因は、皇女らを支えた宮廷サロンの存在や、その記録などさまざまな事が考えられるが、その中でも大きなものとして「仮名文字」があるだろう。
仮名に対しそれまでは真名である中国大陸から渡来の漢字が用いられていた。真名を用いるということは、文章は基本的に漢文ということになる。外来の言葉を扱わなければならないのに対し、仮名文字はやまと言葉をそのまま表記できるという、あらたな表現を生み出すこととなった。そのため、やまと言葉、つまり日常に使う言葉で文をつづることで、微妙な感情や情景をあらわせるようになったと考える。そのような中に、「あはれ」がある。

本居宣長(1730~1801)は「もののあはれ」を美意識のひとつとしてあげ、「もののあはれ」や「もののあはれを知る」とは、「世の中にありとしある事のさまざまを、目につけ耳に聞くにつけ、身に触るるにつけて、その方の事を心に味へて、その方の事の心をわが心にわきまへ知る、これ、事の心を知るなり、物の心を知るなり、もののあはれを知るなり」と述べた。
「もののあはれ」は、五感を通じて、見たもの、触れたもの、聞こえたもの、感じるもの、によって生ずる、「しみじみ」と、あるいは「しんみり」と深く心に感ずる感情で、宣長はそれを「うれしかるべきことはうれしく、をかしかるべきことはをかしく、悲しかるべきことは悲しく、恋しかるべきことは恋しく、それぞれに情の動くが、物のあはれを知るなり。」と述べ、「あはれ」は喜怒哀楽すべてにわたるとしている。簡単にいうならものから得るしみじみした感情ということだろう。
ここで問題になるのは、「あはれ」は具体的にいいあらわすことはできないのだろうか。結論からいえば、それは、あらわせないだろう。「あはれ」は、具体的に「哀」とか「愉」な感情ではなく、感じることそのものなのだと考える。
あはれに対し、同時代に記された清少納言の『枕草子』に多くみられる「をかし」がある。をかしは面白いときに使うのではなく、美しい、素晴らしい、興味深いなど、物事に何かしら感じることがあったときに使われる。現代で例えるなら、SNSのイイネボタンのような、goodでなくても押してしまう心情だろう。この2語を比較すると、「をかし」は、短時間のうちに直感的に思うことがあった場合に使われ、「あはれ」は、その時の心情や状況を自己の内で分析し感じるものなのではないだろうか。そのため、時間をかけて感じ、後も自分の中で後を引くようなものであったと考える。
自己の情報を結びつけるにあたって、それまでの人生や経験が素となるであろうが、その中には、自然の情景なども含まれたことだろう。そして、逆に、自然の情景を目にした時に、過去に感じた「あはれ」を反復して感じることもあると思われる。


ここでは、「あはれ」 について。
あはれというと、「哀れ」とか「憐れ」とか、センチメンタルな、情緒に訴えるような感じ。と考えられがちですが、本来はそんな限定的な意識ではありませんでした
ものごとに対して、何かを感じることが「あはれ」です
平安期に抑えるところは、あはれの美意識ではなく、仮名文字による、表現の多様性と考えます。
仮名文字の登場により、和歌や文学での心情の表現の幅が、グッと広がったことでしょう。それまで、既に、自然を表現にとりこんでいたものが、更に複雑な物事を表現し、記す、あるいは、多数のものに伝え広めることが可能になった。ということが、大きなポイントであると考えます。
そして、その中でも注目すべき美意識は、あはれでも、をかしでもなく、実は「はかなし」である。と考えます。
はかなしの注目について、唐木順三が『無常』で述べています
「無常」につながってゆく「はかなし」については、また

つづく

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