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0.1の女

まさか、実現すると思っていただろうか。

他人が通るたび揺れ、いたる所から隙間風が吹き込む薄い玄関扉のアパートから、オートロック(しかもモニター付き)の部屋で好きなものだけ集め、ぬくぬくとした暮らしができていることを。

苦手のタイピングが早くなり座ったまま稼ぐ賃金が、心身共に過酷な状況下でやっと稼いだ額の二倍になることを。

あの頃の私よ、想像できただろうか。

学芸会
スポットライトが半分しか当たらぬほどすみっこに登壇し
「そうだそうだ!」
…たった一言の台詞を吐くのにも顔が熱くてたまらなかった自分が、今となっては被写体としてお金をいただく日もあることを。
 

転職後の会社では、あと数日で入社4年目になる。
いつの間にか前職の正社員として働いた歴を超えてしまった。
社会人歴も新卒や新人といわれる時代を通り過ぎ、どうやら7年目になったようだ。

乗り越えるのに必死だった毎日は、気付けばこなす事に余裕が出てきた実感もある。若さ故、社会的にお子様として見られてしまうハンデはいつの間にか無くなった。こちらも年相応の経験を重ね、社会生活を円滑に進めるためのhow toが身についたのだ。


新卒入社したブライダルの会社ではアルバイトとインターンの2年間に加え、入社3年目までの5年間を同じ場所で過ごした。同じ場所とはいえ最初の1年は部門が異なり全く違った業務内容であったが、翌年から後に就職する部門のインターンとして1年目に築いた人脈と信頼を駆使し、特別に早く始めさせてもらえた。
このハードな業界の中で職場の人間関係ほど重要なことはないと思っていたから、それはもう、これでもかというほど通い詰めた。

人の顔と名前、その人とのエピソードは些細なことでもメモに残し、顔馴染を増やす。そのメモ癖は業務の中でも勿論同様。
この行為こそ社内での信頼を構築し、自身のお守りになるのだ。そのため、新人の頃は書き溜めたメモを自宅に忘れてきた日は退勤までが不安で堪らなかった。

同じ事を何度も言わせることほど仕事の妨げになることはない。
その数分が先輩のスケジュールを崩してしまう。
シンプルに理解が追い付いていない場合はやむを得ないが、頭に完全インプットされる前にせっかくのメモを忘れては意味がないのだ。
メモを振り返り自分にできる業務を全力で+αのクオリティで完遂する。

こうした毎日の静かなるアピールの甲斐もあり、必ず内定を獲得できると確固たる自信を持って臨んだ面接はお馴染の面々であったが、いつもとは異なる空気に緊張や照れくささで沸騰しそうになった。
しかしながら準備した事を拙くもしっかりと言葉にできていたとは思う。
緊張しいの私がその程度で済み内定までこぎ着けたのだから、やはり準備や経験は裏切らないのだと確信した瞬間でもあった。

 
高校時代
ブライダル業界に進むことを決め、先生や母の後押しもあり専門学校に行くことになった。専門職なのだから高卒より専門学校できちんと学んで就職活動をした方がいいだろうと私も納得したからだ。

そうと決まれば必要となるのがお金の工面。
奨学金を借りるにあたり、様々な手続きをした。
そこで私は現実を突き付けられることになる。
 

『内申点が0.1足りないので、有利子です。』

 
高校進学をギリギリで決め、赤点さえ取らなければよいスタンスでバンドとバイトに明け暮れていた私は『内申点』というものにフォーカスを当てて学校生活を送ったことが無かった。ATM手数料すら惜しい私からしたら、最後の最後に足元をすくわれた気分であった。実際に使う額より『頭が悪いがために』多く支払わなければならないだなんて…

勉学に関しては頭が良いわけではない自覚はあった。
科目の好き嫌いで差があった。
勉学での努力をしていないことは学生として誇れぬことだが、使える頭がないのなら足で稼ぐしかないと、時間の許す限りバイトをしていた。
専門学校を選んだのだって、四年も学生をするよりなるべく早く就職して社会人として働けるようになるためだった。

なのに、それなのに、そうなるために進学するには知能が0.1足りないがために多めにお金を返していかなければならない。

理不尽、後悔、自己責任、やるせなさ…様々な言葉や感情に襲われ、これから何十年も使っていないお金を返していく事実に頭がいっぱいになった。

それでも、たった二年とはいえ進学を選んだのは自分なのだから、気持ちを切り替えなるべく少ない利息で生活に無理ない程度に、なるべく早く完済できるスケジュールを組んでやった。

先日、年に一回の償還状況を知らせる封書が届いた。
長いこと安月給ではあったが、改めて確認したら間もなく折り返し地点に届きそうだった。

今の仕事はブライダルに全く関係なく、高校時代までの自分には縁遠い保険業界だが、ビジネスマナーや敬語力、言動の落ち着き、見込まれたホスピタリティ精神は転職にかなり有利に働き、財布と生活に潤いを与えることになった。

トラックの外側を大回りで走っている最中は、苦しくて先が見えない不安を抱えながらも自分の選択に腹をくくり、脇目も触れず、ただ真っすぐ前を見て走り続けていた。

その間に通り過ぎた沢山の景色や向かい風は、私の戦闘力をいくつも上げて後押しをしてくれたのだ。


どんなに時間がかかっても、その時は遠回りに感じても、
無意味なことは一つもない。

社会人になっても大人になった実感がなかった自分が
これまでの経験全ては必要な工程であったと気付いた瞬間

ようやく私は大人になったのかもしれない。

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