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はるみぞれと夏の少年 第13話 ―心に潜る―

 深く沈みこむように考えてばかりいる。
 春霙(はるみぞれ)の潜考は歯車だった。どこにも行き着くことなく、その場でぐるぐると回り続けている。けれどその回転は、確かに何かを生み出そうとしていた。春霙が足を進めるためのなにか。彼女はまだ、それを言葉で言い表すことができない。ただただ目の前を覆い裹む悲しみに足を取られ、手を取られ、弄ばれている。
 冬は秋を侵し始めた。
 秋微雨を失った木々は、一斉に色を失い、こらえきれなくなったのか葉を落とした。葉は空を覆い、地面に降り積もっていった。それらに、秋微雨の瞳のような鮮やかさは無く、土に還るものの色をなしていた。
 積もる落葉が風と、彼ら自身によって小雨によく似た寂しげな音をたてている。やがてその音に呼ばれたかのように、季を進める雨が降りはじめた。
 春霙の頭上高く、目まぐるしく発達した石灰色の重たい雲は、乱暴な雨粒を地面へ向かって叩きつける。春霙の歩く林道はたちまち白驟雨に溺れ、ぬかるみ水溜まりをいくつも浮かべる。
 葉を離れた樹雨が歪みながら空中を落下し、その水鏡の中に逆さの木立をとらえる。逆さまの春霙。彼女の瞳はずいぶんと黒くなった。透ける石英のごとき雨粒が反射したかすかな光が、深い黒から様々な色を揺らして見せるようだった。
 激しい雨は春霙にぶつかり、弾け、また別の雨粒となって彼女の体を滑る。伝い落ちてゆく雫は、彼女からわずかな温度を奪った。
 ひじの内側を這い、指先へと流れる。首筋から、まとった衣服を濡らしていく。
――寒い。
 春霙は寒さを覚えた。そうしてまたひとつ、自分が重くなったような気がした。失ったはずなのに、なぜ体は重くなるのだろう。秋微雨(あきついり)に抱きしめられて、もらった少しの熱も、憧れた夏雲の尊さも、今はもうすべて無くなってしまった。
 なぜ、どうしてなんだろうか。こうも体は重い。目の前から消えた、同じ言葉を話す自分じゃない誰かは、私とひとつになってもう戻らない。本当に彼らは、私と一緒にいるのだろうか。こんなに寒いのに。
 どうして私は覚えてないのだろう。私の体にもっと重みがあったころのこと。私が、半夏雨(はんげあめ)や、秋微雨、それからこの先にいるのであろう、冬の君とひとつだったころのこと。
 木枯らしが呼んだ雨は、小さな水流となって盤根を越え、やがて水流は集まり滑滝となり黒い土を押し流していった。
 春霙の進む道は、少しずつ傾斜を成していった。

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