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村上春樹に学んだこと

やれやれ
ハルキストです。
20代の頃はよく読みました。
1作品につき、7回ずつ読みました。
多くのハルキストと同様に、
「これは、私のことを書いた物語だ」
とも、思いました。少し、恥ずかしいです。

学ばなかったこと
村上春樹を読んで学んだことは、
手作りサンドイッチのすばらしさでも
猫のすばらしさでも
不倫のすばらしさでも
ありません。

ましてや
「ナメクジを食べたことのある人しかナメクジを食べた気持ちがわからないこと」
とか
「紳士とは、したいことをする人ではなく、するべきことする人だ」
ということでもありません

学んだこと
それは、「何もすることがない一日を過ごすばらしさ」です。
小説の主人公は高い確率で、ぽっかりと何もすることがない一日にぶち当たります。
主人公は、待ちの立場に立たされます。
そのとき、主人公は、身の回りのことだけをし始めます。
少なくなった食材を買いにいき、たまっていた支払いを済ませ、手紙の返事を書いたりします。
そして、庭で手作りのサンドイッチを食べながら、魚のような名前の猫と過ごします。
待たなくてはならない時間を、主人公はしっかり待ちます。

とりあえず肯定された
その描写に、なぜか救われたんですね。
すべきことをしなくてはならない、でも、何も進まない。
先が見えないつらい日々の中で、若い時代の僕は救われたんですよね。
まあ、何もしなくてもいいし、気になることがあればやってもいい。
そうやって、何度も肯定されたんですよね。
ただ、若いだけの平凡な一日を、何もしない一日を、目につくことに手を延ばすだけの一日を肯定されたのです。
そんな過ごし方しかできなかった自分を肯定されたのです。
だから、繰り返し読んだのです。

再び肯定してみたい
今は、すべてがtodoリスト化されていして、予定がつまっている。
一番、効率的なものから順番に「攻略」しつづける毎日

今でも、僕は何もしなくてもいい日を肯定することができるかしら。

今日の中二娘
・私に貸した小説の感想が早く聞きたいらしい。せかされた。
(本を読むのを焦らせないでほしい。読書をtodoリストに入れないでほしい。できれば、せっかく娘が貸してくれた本だから、何もしなくていい一日に読みたいのだ。)

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