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何者かにならなきゃみたいな焦燥感

こんにちは、わたしのことはどうぞちゃき(@chaki_hama)って呼んでください。

何かしら肩書を付けたかった自分を最近やっと卒業できたのですが(拍手)

Xで見かけた辻愛沙子さん(@ai_1124at_)のポストが心地よく言語化されていて、とてもわかるなあ。となったのでnoteに残しておこうと思いました。

31歳で人生で初めての大きなお休みをいただいて、やっと理解できたことがぎゅっと詰まっているなあと

何者かにならなきゃみたいな焦燥感で仕事選んだり悩んだりする若者が増えているように思うんだけど、仕事より何より、日々の生活こそが最もユニークで固有なものだと思うのよね。

辻愛沙子|arca | (@ai_1124at_) on X

24歳でストップしたわたしのキャリア

最初に出産したのは24歳。新卒で働き始めた身分にとってはちょっと社内がざわつくようなタイミングでの出産でした。(その当時は!)

例に漏れずそのまま待機児童問題にぶち当たり、会社からは退職勧告を受け、退職。
しばらくは正社員ではなく、細々とした仕事をしたり、一社を立ち上げたりと、フリーランスとして29歳までのらりくらり。

そんな感じで過ごしてきたので、私のキャリアは24歳でストップしてしまったのだと思い込んでいました。
保育園ダメだったけど人生そんなこともある!キャリアと引き換えに、家庭に入り子どもたちに愛情を注ぐぞ!と。

その頃にはキャリアとかワーママとかがわたしのコンプレックスワードになっていました。

でも、その気持ちとは裏腹に、キャリアを失った自分はなんと形容したらいいのかわからず、自分の「肩書」に執拗に固執していくようになりました。

肩書は1人の社会人として信頼してもらうため

肩書に固執した理由のひとつが、「わたしが社会に貢献するために必要だった」からです。

例えば、多胎児(2人以上で産まれる子ども、ふたごなど)の支援活動にて、ロビイング(マイノリティの方や支援を必要とする方のために、自治体等に直接働きかける方法)をしていても、ただのフリーランス、ただの子育て中の主婦では自治体に聞き入れてもらえず、

〇〇士、〇〇師、大学教授、企業の管理職などの肩書がある方はすぐに話が上に通っていくようなことを何度か経験しました。
まあ、それはそうなんですよね。理解できます。

わたしの声は肩書がないと「1つの意見」としてカウントされないんだなあ、みたいな捻くれた気持ちになっていきました。

肩書を付けたかった自分を卒業できたのは

でも、生活は、あなたの生活だけは、あなたがいないと回らない。
今日何をスーパーで買って、何を作って、どんな食器で、誰と食卓を囲むか。
これ以上にあなたがあなたであることの証は無いよ、と自分じゃない自分の亡霊を追い求め続ける現代人に伝えて回りたい。

辻愛沙子|arca | (@ai_1124at_) on X

今はよくわかるんです。辻さんのポスト後半に記載されていることが。

この意味を深く理解できるようになったのは、弊社メンバーからのメッセージと、夫の言葉、そして逃げてきた「持病と向き合う」ことができたからでした。

持病と向き合うということは、自分の人生をほじくり返して傷口に塩を刷り込んで火に炙るような作業の積み重ねでした。

ちょーーーーーーーーーーーーーしんど!しんどかった!

昨年末くらいから自分と壁打ちをし続けてやっとここまできました。

ちょっと字が乱雑すぎて載せるのが恥ずかしいので打ち込みますが、自分の交通整理をしているときのメモを載せます。

・自分を形容したとて、自分は何も変わらない。
・仕事は喉から手が出るほどに大好きだけど、自分を壊してしまうほどのめり込むことは避けないといけない。
・わたしの生活だけは、わたしが生きるしかない。

集中と緩和が下手くそなんだけど、長く付き合っている病気のせいにはしたくない。
自分ができなかったこと、成し遂げられなかったことを病気のせいにはしたくない。

わたしは人並みに頑張れる、人並みに信頼してもらいたい。
あなたがいて助かった、あなたがいるとチームがあたたかい、と言ってもらえて心から嬉しかった。そんな存在であり続けたい。

お気付きかもしれないのですが、
こんなメモみたいな、他軸の中で生きていた自分に気がついたのでした。
自分の価値を相手の中に見出してしまった。

幼少期は両親の期待のために生きた
青年期は弟妹を守るために生きた
成人してからは子どもたちと夫のために生きてきた

誰かに認められたい。誰でもいい。
いつか報われたい、いつでもいい。

でも、わたしはわたしのために、いつわたしを生きるのだろう?
というところまできて、やっと気づいたのでした。
(女性は特に30歳前後でぶち当たりやすい壁だからねと、臨床心理士さんが教えてくれました。)

でも間違いなく仕事はわたしの生きがいでもありました。

家族を愛することも間違いなくわたしの生きがいで、
同じく仕事もそしてライフワークも生きがいで、
バランスよくいけなかった、欲張ってしまったわたしに気付けました。

そしてその上で、誰かのために何かをしたい人は
まず自分の機嫌や自分のしあわせも同じだけ追求しないといけないなと。

自分を後回しにしてしまう人生は、誰かに何かを伝えたくても説得力に欠けるかもしれない。信頼に足らないかもしれない。

だからみなさんもご自愛ください。わたしも自愛に励みます。


子どもたち3人が器用にベンチで寝る図、かわいい




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