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長女よ。夏休みの宿題リミットギリギリになった今。4500円を払ってガッカリした思い出を語り尽くすのだ。

“やるときは、やるよ”

長女がそうドヤ顔で言ったのはいつだったか。ああ、夏休み前か。
今夏は、長期の北海道旅行を筆頭に、
土日休みのたびに、お出かけプランがギッシリと詰まっていた。

いつだってギリギリで生きてきたボクの遺伝子たっぷりの子だ。

きっと夏休みの宿題なんて、ギリギリまでさサボる。休みの前から宿題を終わらせることができるのか、ボクは、とても心配だった。

“やるときは、やるよ”
リアルな友人でもネットの向こうの知り合いでもいいのだけれど、
普段はなにもやってないくせに、
“やればできる”、
“やるときはやるよ”、
と豪語する人間で、
実際何かをやって成し遂げた人間を見たことがない(あくまでオレ調査)。

心配になって、1つ1つ宿題を確認していく。

あぁ。

やっぱり的中だった。
宿題の中でも一番厄介な読書感想文がしっかりと残っている(8月26日5時50分いまなお現在)。

課題図書は買ってある。
いま、ここ、ボクの横にまさに置いてある。

「化石のよぶ声がきこえる」
読み終わったとも言っていた。
しかし、1600文字も感想を書けないと言う。たしかにその文量は、小3の子には酷であろう。

ボクは少し悩み、
そしてすぐに結論づけた。
できないからと言って完全に放置しておくわけにはいかない。低学年の小学生の宿題未提出は、親“にも”責任があるから。

支援してやらんとな。

そう思ったボクは、
とりいそぎ「化石のよぶ声がきこえる」を読んでみた。

「好きなことで生きていこう」

この本は、女性恐竜ハンター、ウェンディ・スロボーダの半生を描いたもので、

ザっと要約すると、
幼少期から探検することや、他の人が気づかないモノを探し出すことが大好きだった彼女は、その分野の興味をどんどんと深めていき、さらには関連するものへと次々に世界を広げていった。そして行きついた先が化石の発掘。いまや世界的優秀なハンターになれたよ、といういわゆるサクセスストーリーである。

好きこそものの上手なれ、
好きを突き詰めると仕事にできる、
夢は大きく希望をもって、

そんなメッセージを発した本だった。
小学生の子が読む課題本として、一切の異論はない。好きなことが仕事に出来たらとても素晴らしい。ベストな生き方のひとつであるのは間違いないし、おっさんのボクだって好きなことをして生きてみたい、いまでも如実にそう思っているのだから。

実家に帰省した際、ジジババたちとプチ旅行した先で絵師さんにイラストをお願いした

しゃもじに3人の子の顔を描いてもらった。

しゃもじが名物。
そして絵をみていただけると勘の良い人は、場所の特定ができるかもしれない。
が、ボクからはあえて言わない。

たしか4500円。
その場で写真を撮影し、それを元に描き、40分後に完成するという。

待ち時間の40分なんて中途半端。
一応、周辺をぶらぶらとしてみたが、とくになにもすることなんてない。
みんなの脳内はできあがりの絵の期待値で埋め尽くされていたのだから。
早く完成品が見たかった。

ボクらは経過35分には店前で待機し、40分きっちり経過したところで意気揚々いきようようと入店した。


入店すると、

絵師がぶっきらぼうに
“はい、これ”
と言って手渡してきた。

え?

ん?

はぁぁ?

いやいやいや。
店の前にあった芸能人を描いたサンプルからでは、この絵師さんがこの手の絵心えごころとは判断がつかなかった。

あまりにも意表をつかれて、ボクは思わず笑った。子どもはその場では無言。
店を出てから
“これ、私じゃない”、と言う。
まあ、たしかに。

とんでもなくひどい。
感性の問題かもしれないけど、少なくともボクはひどいと思った。

いいですか。

ここに描かれた人物像は、 
9歳、7歳、5歳児である。
親の贔屓目の、バカ親認定の覚悟で言わせてもらうが、これより我が子の方が圧倒的にかわいい。

いや、誤解があってはならないから正確に言う。絵師さんの描くものは別にかわいくなくたっていい。
子の特徴をかわいらしく表現してもらえたらそれはそれでいい。たとえば、↓

これ、決してスタンダードな可愛さじゃないけれども、次女の特徴をものすごくつかんでくれていて、
描いて手渡されたときに家族みんな大爆笑で、大満足。いまや一生の宝物となった。

それと比べて、今回のイラストはどうだ。描かれた誰が喜ぶだろうか。

ボクは、この絵師さんに、金輪際こんりんざい、お願いすることはないし、どこそこの誰とまでは特定しないが、こうしてSNSで悪くネタにまでしちゃっている。

趣味でやっているのならお好きにどうぞ、
だけれども、
これビジネスでやってんでしょ。

だったらこれじゃダメっしょ。
ボクは、そう思う。

商売は、「お客様」がいてのこその世界。
そもそも仕事とは、需要があるところに供給することで成り立っている。
どんな業種だろうが個人事業主だろうが公務員だろうが、働き方だろうが、
これが大原則である。

多くの人がほしいと思う商品は売れるし、だれも望んでいないサービスはまったく話題にならない。

おそらく絵師さんは昔から絵が得意で、好きなのだろう。店は閑古鳥かんこどりが鳴いていたけれども、好きを仕事にしたベストな生き方を掴んだ人だ。

しかし、何度もいうけど、仕事というのは、需要があって成立する。

「好きを仕事に」というと「自分が選び決めること」だと思いがちだけど、
そもそも需要とは、他の人が決めることであるから、好きを突き詰めるだけで仕事にできることはない。

本当の意味で成功した人は、
実際はそれ以外の要素が多分にあるのだ。

小学生が、“好きを仕事にしようと突き詰める”ことよりももっと大切なこと

高校3年の秋口のマラソン大会が終わったときに、ボクはこれで一生、マラソンなんてしなくて良いと喜んだ。
しかしおっさんになって毎年、100㎞ウルトラマラソンに挑戦している。
ボクは、いつからか走ることが好きになった。

いまの仕事。
最初は全然、希望の職種ではなくてイヤだったけれど、やっていくうちに仕事内容がどんどん興味深くなっていった。
好きを仕事にしているか?
と人に聞かれると、
“そうだね”、ときっと答える。

好きは変わる。
趣味も変わる。

いいな、と思ったものがダメになったり、
嫌いだな、と思ったものが、好きになったりする。この繰り返しで、ものごとは楽しくなっていく。
だから小学生・中学生なんて、「好き」「嫌い」で物ごとを決めつけずに、
たくさんのことを知っていく努力のほうが、好きなことを突き詰めて仕事にしようと“思いこむ”ことよりも、圧倒的に重要なのだ。

とボクは、そう思っている。

お、

2600文字か。
よし、これを要約して書くんだ、長女よ!

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