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非モテが伝授するうまい負け方。勝負ごとは、敗北が明らかになった当日くらいを茫然自失な雰囲気で演出すればいい、くらいで挑むのが丁度いいのだ。

キズつくのを極度に恐れる
ガラスの心をもった次女。

小学生になってから、
出場できるマラソン大会がグッと増え、絶好のマラソン日和であるこの時期は、週末になるたびに大会に足を運ぶようになった。

彼女には勝ち方よりも負け方が超重要。
と、ボクは思っている。

4分15秒/kmと言えば分かる人には分かってもらえるが、親が言うのもなんだが小学1年生女子でこのタイムはなかなかの逸材なのだ。物心ついた時から、ボクと長女と、山道の5kmを一緒に歩いて走り回ってきたので、いまのところ同年代ではどんなコースだろうと、男女混合の何人の大会だろうと、圧勝する。

しかし低学年のくくりのレースともなると状況が一変。次女よりも速い年上のお姉さんが次女の前にドシンと立ちはだかる。

それこそ身近にいる大きな壁。
3年生なる長女。

必ず、負ける。
余裕かまされた挙げ句、負ける。

すると勝ちグセのついている次女は
すぐに泣く。ギャンギャン泣く。

子どもの頃は年齢による差は大きいからね、
「敗北」とか「失敗」というものは生きている限りは必ず訪れるものだよ、
と幾度となくさとしてきたが
これがなかなか治る気配はない。

なぜ負けたときに傷つくのか。
それは多くの場合、負け方を教えられていないから。負けの大部分を自分の力のなさと捉えてしまいがちなのだ。

次女に大切なのは、
上手な負け方、ダメージを最小限に抑える負け方である、

とボクは思っている

「コツコツドカン」

株の世界にはこんな俗語ぞくごがある。
コツコツ積み上げた勝ち分を1回の負けでどっかーんと吹っ飛ばしてしまう、という意味の言葉で、特に投資の初心者にありがちな話である。

本屋に行けば、

“10万円を2年で1億円にしました”
というたぐいの、株のサクセス本が数多く存在し、初心者の目を惹きつける。
人は、見たいものだけを見たがり、聞きたい言葉を聞きがちな生き物だから、こういうのが好き。大好き。チョースキスキ。

ボクだってそうだ。
心地いいんだもん。

しかし、

この手の勝った人間の語る“勝つ方法”については、本質的にはどれも同じで、コレコレをやったから勝ったという体裁こそ取っているが、勝てば官軍といわれるように内容は勝ったから言えるだけのものでしかない。

そもそも“短期売買”の株本を出すような
時間的余裕のある経歴と能力と精神力を持つスーパーマンたちの勝利方法が一般人にそのまま適用できるはずがない。

ボクの17年の経験則から身も蓋もないことを言わせてもらうと、短期売買であれば、勝つときは何もせずとも勝つ。

だから読む価値はない。

と、断言すると

noteのコンテストの採点者である出版社を敵にまわすことになるのが恐ろしいので、ここでは少々“抽象的”に“中傷的”な内容に留めておくことにし、いったん話を戻そう。


“おっ、RSI、一目均衡表、平均移動線が…”
よし、この銘柄をいま買っておけば短期的に儲かるな。

そうやって成功本を片手に、
成功するパターンを知った気になって確信をもって買った株は、下がり続けても、「失敗」とか「敗北」というものは認識しにくく、心理的にも受け入れにくい。

買った直後から永遠に下げ続けたとしても、

持っていれば必ず上がるさ、
下げは一過性のものさ、

ついつい、そう判断してしまう。

だから、血をどばーーっと垂れ流したまま勝負に挑んで、どんどんダメージを大きくして、気づけば致命傷に。

これが初心者が株に拒絶反応を起こしてしまう典型的なパターンである。負けをイメージできていない状態だから、負けた時の第一印象が強烈となる。

こうなってしまってからでは、
そもそも株なんてものは、長期保有だよ、配当金だよ、新NISAの制度は人生変えるよ、と言ったところでもはやムリ。取り返しのつかないところまで心の傷は深くイッてしまっているのだ。

負け方を知らない。
負ける術を知らない。

だからドツボにハマる。

これって、株に限らず、
ビジネスでも、webでも、恋愛でも、それ以外の場面でも、結構一般的に同じようなことが言えるんじゃないか、

とボクは思っている。

「はい、論破」の無意味さ

ボクは、リアルでもネットでも基本的に論破たるものはしない。

コメント欄で“批判したいだけだろうな”的なものがたまーに見受けられることもあるが、これに関しては、「ウンチ☆ベチョ」とした上で、従順に“そのとおりですね”。
と返す。

他にも、
「やたら文字数多くて結論何なの?noteは文章をスマートにして結論から書くべき」
から始まり、オレのことを書いているよね、と思う記事を見ることだってある。これに関しては「ウンコ☆ブリ」として、華麗にスルーする。

大丈夫だ。自分の正しさを裏づけようと批判しなくとも。そもそもボクが間違ってて、あなたが正しいと思うから。

言ってるやん。
平凡リーマンの旗をビシっと掲げ、幾度となく非モテが毒にも薬にもならないようなウンコとエロの体裁を維持して書くキモい記事だよ、って。

ボクのような負け組確定な人生でも何とかやっていられるのは、
ときどき、たまーーーにだけど、
「人間、捨てたもんじゃないな」「なんだ、オレみたいなアホは他にもおるやん」
と思えるような、きらり輝く瞬間が1週間に20秒くらいあるから。

その20秒を記事にしているのがこのnote。
それなのに、批判もクソも結論が分かりづらいも「ウンコ☆ピヨ〜〜ン」もない。

そもそも異なる立場の者が公開されたインターネット上で意見を応酬しあったところで、ショーにこそなれ、最短で解決や妥協点を見いだせるとはとても思えない。
結局のところ、分かりあえやしないってことだけを分かりあうしかないのだ。

だから議論は無駄。
チョー、ムダなのだ。

リアルだって、
議論が白熱しようものなら、 
ボクは知っていても、知らないふりをすることがよくある。でもこうやって歩んできた人生の中で、知らないふりをして困ることなんか一切ない。知ったかぶりよりも知らないふり。知っていても簡単に話さない。

営業、管理職であるボクは、相手に花を持たせて実効性のみを担保し、「議論での負け」を躊躇ちゅうちょなく引き受ける。
そう、ノーダメージの負けを自ら選択するのだ。

もっというと、これが対人系の仕事の鉄則とすら思っている。ボクは、被害最小限の負け方を知っている。
だから図太い神経で、少々のことでは傷つかない。これが次女とは決定的に違うところなのだ。

次女に伝えたいこと

もちろん負けた原因については反省しなければならない。

でも負けるというのは相手や環境との兼ね合いが大いにある。実際の割合は知らないが、ボクの仕事だって、競合とのガチ勝負は、運8割、実力2割の結果だと思っている。

マラソンだって、
株だって、
恋愛だってそうだ。

イロイロ努力したのに負けてしまったけれど、実力の占める割合などは2割。勝てばラッキーくらいに気楽にとらえ、その2割にベストを尽くしたかどうかで判断をすれば、それでいいのだ。

負ける前提といったら、プロやエリートや恋愛マスターからは怒られそうだけど、平凡なんてそんなもんでいい。

それが過度に傷つかない、ダメージコントロールの効いた、うまい負け方だとボクは知っているし、致命傷を負わなければ、勝つときには負けを取り戻すどころかオツリがくるほど大きく勝てるのだ。

ということで、本記事は、
noteほぼ同期のはそやmさんの「創作大賞2023ベストレビュアー賞」受賞に超刺激を受け、

“お金について考える”コンテストに積極果敢にエントリーするワケだが、
いやあ、運が8割ですよ。負け前提ですよ。だから負けても傷つかないっすよ。

でも、出版社さんの悪口も先っちょだけ入れて、イク寸前で寸止めしたんだから、ウンコとエロのゲスな記事というのは審査判断から 一切合切いっさいがっさい、差し引いてもらって、ガラスの心をもった次女がパパが落選して悲しまないように、それを考慮に入れてほしいわけです。

ねぇ、日本経済新聞社さああああああん。

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