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人の心も熱い国

「ゆる募 年末スリランカ」

そう友達に送った私は、返事を待ちながらも既に行く気満々だった。 
なぜスリランカだったかと言うと、インドが気になるが危ない話聞くから怖い・・・それならインドに近いスリランカはどうだろう?ひとまず治安は良好そう。あと、本場の紅茶飲んでみたい、と至って前知識もなく決めたのだが、この選択、大正解だった。

スリランカどこが良かった?未知だし、なんか危なそう。ってよく聞かれる。その時私が必ず返す言葉は、「根っから親切でお節介な人が多かった」
ありきたりな返事に聞こえるかもしれないが、スリランカに対しては本当にこの印象なのだ。
道に迷ったり、何か困っていたりすると、必ず誰かが少し訛った英語で「どうしたの?」と話しかけてくる。女二人旅だったのもあり声を掛けてくる人には警戒していたのだが、道案内を終えると「じゃあな」とニコニコと去って行く。
一番記憶に残っているのが、2日めの夜。キャンディアン・ダンス(古都キャンディを中心に行われている、伝統舞踊)を観終わり、辛い辛いスリランカカレーを食べ、そんなに遠くないしせっかくだから歩いて宿に帰ろう。と、Google Mapも開きながら意気揚々と歩いていた。が、1時間経っても着かない。さっきから、同じ所をグルグルしている?街灯も無く、暗い道で完璧に迷子になった。人通りも多くないし、どうしよう。と顔面蒼白になって彷徨っていた時、大きな建物の前に、門番小屋があるのを発見。灯も見え、もう助けを求めるならそこしかない!と小走りで近寄ると、中には酒を飲みながら結構な大音量で音楽をかけているタンクトップのおっちゃんが、一人。私達に気づき、ドアを開けてくれた、う…酒臭い。。英語で何か話しかけてくるが、訛りが凄くて聞き取れない…猛烈に不安を感じるものの、頼みの綱はそのおっちゃんしかいない。どうにかこうにかお互いに聞き取れないコミュニケーションの中で、迷子になった、この宿に帰りたい。と言う主旨はおっちゃんに伝えることができた。するとおっちゃん、その宿に電話を掛けてくれて状況を説明。電話を切った後、宿の主人が迎えを寄越してくれるらしい、との事。迎えを待つ間も、沢山喋り掛けてくれるのだが、断片的にしか意思疎通できなかったのが、非常に残念だった。おっちゃんがどういう生活しているのか、とかもっと聞きたかったな。あと、一緒に写真撮れば良かったな。でもとにかく、終始ご機嫌で優しいおっちゃんだった。

たまたま親切な人に当たったのでは、と言われたらそれまでなのだが、偶然だとしたら出来過ぎていて、やっぱり親切でお節介な国民性ではなかろうか、と私は思っている。

もちろん土地そのものも魅力的で、世界遺産であるシーギリヤロックは必ず訪れてほしい場所だ。
てっぺんにたどり着くまでは色んな種類の階段を登り結構大変だったが、頂上からの景色は見事だった。

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Airbnbの宿の朝食には、心待ちにしていた紅茶が出てきた。言わずもがな、大変美味しかった。日本でもスリランカ産紅茶は馴染みのものだが、渋みと甘みのバランスがちょうどいいのだ。有難いことにミルクも用意されていて、ミルクティーもガブガブ飲んだ。

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他にも、シーギリヤロック目指し長距離バスに乗ったら、出口側のドアが
がっつり開いたまま普通のスピードで走ったり(しかも結構な山道でもそのまま)、道端や町にあるご飯は笑っちゃうくらいカレー味のものばかりだったり(Airbnbの朝ご飯ではパンやフルーツが出た)五感をフルに刺激されて、今もその情景をすぐに思い浮かべる事ができる。
初めての体験が多かった、のも印象深い理由の1つかもしれない。
初めての乗り継ぎ便、海外でのAirbnb宿泊、トゥクトゥク、、、それらも、スリランカの旅に更なる彩りを与えてくれた。

私が帰国した直後に、スリランカでテロが発生した。
旅は常に危険と隣合わせなんだ、と無事に帰国できた事に感謝しながら、現地で出会ったニコニコ陽気でお節介な人達の無事を願わずにいられなかった。

日本にいると、日々の忙しさに終われ、つい自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう。人を穿った見方をしてしまったり・・・。そんな時は、人に当たり前に優しく、寛容になれるスリランカで出会った彼らの事が羨ましくなる。

いつかまた、行きたいな、スリランカ。

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