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娘の卒業に際し夢の毒を考える

明日は、長子である娘の小学校の卒業式です。初めての子がいよいよ小学校を卒業。さぞ、感慨深いものがあるだろうと想像されるでしょうか。たしかに、そういった面も無くはないです。でも、正直言って、卒業式に出席するのは気乗りしません。

いちばん嫌なのは、卒業生が順にセリフを言う、あれです。「重いランドセルを背負って緊張しながら迎えた入学式」で始まり、小学校生活を一通り振り返って、最終的に「お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとうございました。中学校に行っても頑張ります。これからも見守っていてください」と感謝の言葉で締めくくる、あれです。想像するだけで背中がゾクッとします。親にお礼を言いたければ、言いたいタイミングで直接言えばいい。みんながみんな、ちゃんとセリフを言うのを見ていると、かえって小学校での修行のつらさを想像してしまって、いたたまれなくなるのは私だけでしょうか。全員お利口さんだなんて、嘘っぽい。あーあ、誰か、羽目をはずして「解決しなかった3年3組事件、今からでも遅くないです。みんなの下駄箱やペンケースに『しね』ってメモを入れたのは誰ですか?白状してください」なんて言う子がいたら面白いのに。面白くないか、全然。そんなこと言ったら台無しですもんね。色々あったけど、みんな無事に卒業式を迎えることができました。単なるセレモニーの演出に、つらつらと文句を綴る私みたいな親の方がよっぽど変なのでしょうね。

つい、前置きが長くなってしまいましたが、決して私の変わり者ぶりをアピールしたいのではなく、ここでは、卒業に際して「感謝」とともに無理やりにでも持たされる「将来の夢」というものについて考えてみます。語れる夢がある子はいいんです。でも、夢がない子だっているので。

卒業式に先立ち、娘が卒業アルバムを持ち帰りました。「将来の夢」などという作文を無理やり書かされ、巻末の文集にまとめられているのを見るにつけ、気の毒なので娘のページは見ないでおいてあげようと私は思いました。娘が夢を語りたくなったら、そのときはいつでも聞いてあげる。とことん聞いてあげる。私にできることがあれば、してあげる。それでいい。

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