【小説】クローン

第二心身所持法ができて、もう百年は優に越えたらしい。立法当初は倫理的観念から反発もあったらしいが、この平和な今の日本を見たら、誰が異論を唱えるだろうか。今この国に無くてはならないもの、それは、もう一人の自分だ。

事故、災害、犯罪。それらを完全に失くすことは、いくら英知の発達した人間にも不可能なことだった。それなら、と言った発明家の名前を、私は覚えていない。
「おはよー」
「おはよう」「おはよう」
私の挨拶に、いつも二重に返ってくる返事。私は、妹と、妹のクローンと暮らしている。

念のため、とは素晴らしい言葉だと思う。昔の人は「失敗は成功のもと」なんて言ったらしいけれど、失敗は失敗、しないに超したことはないのだ。万が一、誰かの運転ミスで私が死んでしまったら。万が一、震災に巻き込まれて命を落としたら。万が一、今日の帰り道、後ろから刺されたりしたら……
今や誰もが所持する第二心身、つまりクローンは、産まれた直後に採取した細胞を培養して作る、言わば自分の分身のようなものだった。これがあれば本体である第一心身が亡くなった場合、記憶を移植させたクローンが本体と成り代わって生活を続けることができる。
通常、自分の第二心身は私のように家で眠らせておくのが一般的だが、妹のように生活を共にする人もいた。
死んでも代わりがいる。私は万が一、死んだとしても大丈夫なのだ。

ジャムパンをもくもくと食べながら、ぼんやりと朝の情報番組を眺める。
『すべてのクローンに人権を』
『クローンを起こして』
『第二心身も人間だ』
左から右へとゆっくり流れるプラカードを目で追いつつ、噛んでいたパンを飲み込む。
「どうせこれ訴えてるのって、みんなクローンでしょ」
私の言葉を聞いた妹が眉をしかめた。
「この子の前でそんなこと言わないでよ」

目覚ましより先に目覚めた朝、カーテンを開けると雨だった。階段を下りきった先で、妹とすれ違う。
「おはよー」
「おはよう」
いつもの返事に違和感を感じて振り返る。
「あれ、今日は一人なの?」
「うん。もう必要ないかなって」
「ふーん?」
珍しいこともあるもんだ。産まれてこのかた一緒だった第二心身を、妹が寝かせるなんて。
リビングからは、付けっぱなしの情報番組の音が微かに聞こえていた。

顔を洗おうとして、洗面台の鏡を見た。
「あ」
口の端が、嬉しさからにんまりと上がる。毎日どうしても付いていた寝癖が、今日はなぜか、付いていない。ほとほと困っていたのだ、どんなに気を付けても一ヵ所だけ跳ねて、直すのに毎朝苦労していたこの寝癖には。

リビングにコメンテーターの甲高い声が響く。
「第二心身による殺人なんて、大問題ですよ……」

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