「ミソジニー」 もっと早く知っておけばよかった
『女ぎらい ニッポンのミソジニー』
上野千鶴子さんの著書を読みました。「ミソジニー」という言葉は、「女性に対する嫌忌、嫌悪、偏見」(辞書参照)という意味の "misogyny" という言葉のカタカナ訳です。これだけを聞くと、「男性が女性に対して持つ嫌悪感(蔑視)」のことを指しているように思ってしまいますが、「女性が女性に対して抱く嫌悪感」もこの言葉の意味には含まれています。上野千鶴子さんの本では、この「ミソジニー」についての解説、そして「ミソジニー」が社会にどう影響しているかが書かれていました。
他人事ではない話
この本の内容をここにまとめる自信は、まったくありません。なので、ここでは「あれって、ミソジニーだったんだ」と、この本を読んで思い出だした記憶を少し列挙しておきたいと思います。
とにかく、この本から思い起こされる記憶の数多いこと。それだけ、ミソジニーが他人事ではないということなのだと思います。
私のミソジニー史:
男の子と同じことをして叱られると、「女の子なのに」と言う点で余計に叱られた子供時代
(同じ悪事でも、女がすると罪は重くなるのか? なぜ、男はよくて、女はダメなのか?)同じことを言うにも、特に男子に物を言う時は「その人のプライドを大切にしてあげながら」発言しないといけないと、中学生の女子から注意を受けた小6の夏
(女子に対しても配慮は必要だろう!なぜ、とりわけ男子に配慮が必要なのか?)「瞬きを多めにして見つめれば、男子が頼み事を聞いてくれる確率が上がる」ことを利用していた学生時代
(あの頃は、浅はかでした)もはや挙げ連ねるのもめんどくさい多種多様なセクハラ
(これは、補足無用ですな)「男に遊ばれるくらいの女が上等」みたいな男の意見
(「男に愛される私には価値がある」という女性の意見もたまに聞きますね。でも、男の有無で人間の価値は変わりません)「結婚しないと負け犬になる」といわんばかりの親族や友人、そして自分自身からの圧力
(結婚しなくても、私という人間の価値は変わりません)その他いろいろ
こう見てみると、ミソジニーずくめじゃん!と突っ込みたくなりますね。正直、「ミソジニーがあったから色々あった(おもしろかった)」と書いてしまいたくなる衝動が私にはあります。でも、この衝動こそが「ミソジニーまみれ」の証なのだと思います。「ミソジニーのない世界」を体験したことのない私には、それがどんな世界なのかをまったく想像できません。それくらいミソジニーは生活や文化、思想に根深く絡みついているということなんでしょう。
ちなみに、「これのどこに嫌悪感や蔑視があるの?」と思った方は、本を読んでみてください。
ミソジニーを意識する重要性
それでも、忘れてはならないのは、この「ミソジニー」によって計り知れない苦痛を女性は受けているということ(そして、苦痛を受けていることにすら気がついていない女性がいること)。そして、これから私もその苦痛を受け続けること。また、苦痛を与える側になる可能性もあるということ。
何より、自分らしくAuthenticに生きることの大切さが叫ばれる現代に、この「ミソジニー」を知ることには大きな意義があると思います。
この本を読んだ感想
この本は不勉強な私には少々難しいところもありました。でも、女性として日々生活するなかで感じる違和感や苦しみの原因が、この本を読むことで明確になりスッキリすることができました。ただ、これまでモヤがかかっていた視界があまりにクリアになったために、直視したくなかった傷と向かい合うほかなくなったような、そんな痛みを感じることにもなりました。複雑な気持ちを抱えながら、なんとか本の終盤まで読み進め、高まる心拍数を感じながらの読了となりました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?