適応障害になる自分を分析する

最近、理由もなく泣きそうになることがある。あまり良い兆しではない。

去年の今頃、適応障害で仕事ができなくなった。あの時と似た感じ。原因となっていた仕事はさっさと辞めたから、今回は別の理由に違いない。ということで、今の私は何に苦しんでいるのか考えてみた。

今の私は、外出を自粛し、猫と一緒に過ごす毎日。新しい仕事のおかげで、暇で自由な毎日。ヨガの勉強をひたすら進める毎日。たまに友人と会話する。とくに不満はない。でも、どこか不安で意味もなく泣きたくなる。

この情緒不安定のトリガーとなったのは、数週間前に実家を訪れた時。あることで兄に「黙れ。もう実家に戻ってくるな」と怒鳴られた。そんな非難と嫌悪をぶつけられるほどの話ではなかったはずなのだけど、理性を忘れた人から感情を暴力的に押し付けられた。

それから私は口を閉ざした。話しても意味がないから。理性を保てず、相手の意見を尊重できない人と話すことは時間の無駄。そう考えた私は、自分の世界に戻り、黙々と勉強し、仕事の情報収集をし、猫と遊んだ。そんな毎日。兄の暴言を思い出すことはあまりないにしても、消えない違和感が自分の中に居座り続ける。

思えば去年の今頃も、私は口を閉ざしていた。話の通じない上司に意見を述べることをバカらしく思っていた。理解できない人、理解する意思のない人を相手に、何かを理解させようとするエネルギーを私は持っていないと思っていたから。でも、私が口を閉ざしても、上司の発言は止まらず、私は追い詰められた気分になり、普通を保てなくなった。

去年にしても、今年にしても、私がとった行動は共通している。「口を閉ざす」ことだ。そして、それが情緒不安定のトリガーになっている。オフィスに出勤していれば、他者との日々の会話の中で自分の悲喜こもごもを吐き出し、ネガティブなエネルギーを溜め込むこともなかったのだろう。今は1日のほとんどを自宅で過ごす。刺激が少なくなった分、他人に話せるような面白い日常が少なくなった。友人と話す時も、話す内容が愚痴ばかりになるのを避け、どこか気を遣ってしまう。

この行き場のなくなった「気分のよどみ」はどう消化すればよいのだろうか。花を見る、猫と遊ぶ、ヨガをする、では追いつかない。もっと直接的に吐き出す手段が必要だ。

そして、不満を溜め込まない考え方も身につけたい。私の不満や不安は、たぶん妄想や思い込みから生まれることが多い。今思えば、そんなに深刻に受け止める必要のないことに、去年の今頃は過剰に反応し悩むことが多かったと思う。今の私が必要としているのは、感情と切り離して、淡々と事実を受け入れられるようになるトレーニング。その一方で、傷ついた自分を過小評価せず、過大評価もせず適切に対処できるようになるためのトレーニング。

カウンセリングにでも行けば良いのかなぁ。。。でも、時間とお金を費やすのも面倒だと思うので、もう少し自分で自分を観察し分析していきたいと思う。


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