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アサナとディアーナと禅

噂の名著を読んでみた

B.K.S. アイアンガーさんの著書である The Tree of Yoga を読みました。この本は、欧米のヨギに向けて書かれたヨガ哲学の入門書のようなもので、ヨガの八支則を「木」になぞらえて解説しています。最近まで受講していたオンラインヨガコースの推薦図書になっていたので読んでみたのですが、本当にわかりやすくおすすめの一冊です。

ヨガが身近になった

この本を読む前は「ダラーナ(集中)、ディアーナ(瞑想)、サマディ(三昧)の意味がわからんし、なんか怖い」と、八支則に対して忌避感を持っていたのですが、この本を読んだらそれが消えてなくなりました。この本では、八支則の最終段階である「サマディ」に話のウェイトがそれほど置かれていないんです。欧米向けに書かれたものなので、意識的にそうされたのかもしれません。もちろん「サマディ」の解説はされています。でも「サマディ以外の八支則」について詳しく書かれていると私は思いました(というか、そっちのほうが今の私には響いたというのが正しい表現かもしれません)。

勇気を持って正直に言います

「サマディ」が話のトピックからはずれるだけで、ヨガの話はなんとシンプルになるのか!(ちょっと、びっくりですよ。)もしかしたら、私たちの現代の生活では、ディアーナまでを意識するだけで十分なのかも。「サマディ」はおまけみたいなものくらいに考えるのが良いのかもしれません(怒られるかもしれませんが、でもこれ正直な感想)。

アサナとディアーナに違いはない

本の中で、アイアンガーさんは “There is no difference between asana and dhyana.” と断言しています。エクササイズとしてアサナを中心にヨガをしている私みたいな人も、「ヨガを実践してます」と胸を張って良いんですね。

"As the body is contracted or extended, so the intelligence is contracted or extended to reach every part of the body. This is what is known as reposing; this is sensitivity. When this sensitivity is in touch equally with the body, the mind, and the soul, we are in a state of contemplation or meditation which is known as asana. The dualities between body and mind, mind and soul, are vanquished or destroyed."
(身体が伸び縮みすれば、知性も同様に伸び縮みして身体の隅々にまで行き届きます。これが安らぎであり、感性です。この感性が身体、心、魂に等しく触れているとき、私たちはアサナという瞑想状態になり、身体と心、心と魂のように2つに分かれていた状態(二元性)が壊れ消滅するのです。)

 The Tree of Yoga, B.K.S. Iyengar

日本人にも身近なディアーナ

本の話から離れますが、"Dhyana"(ディアーナ) は、「禅」の語源となった言葉です。禅宗では、坐禅をすることで禅の境地にアプローチするそうですが、ヨガではアサナを通してディアーナにアプローチをします。乱暴な言い方かもしれませんが、アプローチのしかたが違うだけで、ヨガも禅も目指すものは同じであるように見えます。涅槃や解脱について語ろうとすると、話が非常にややこしくなるわけですが。でも、その一歩手前のディアーナや禅を目指そうと思えば、ぐっと身近になりハードルが下がります。

ヨガをもう少し続けてみよっかな

瞑想状態に至ることで、人は副交感神経が優位になり幸せを感じやすくなると言います。この忙しい現代において、運動不足も解消できて、「幸せ」にもアプローチできるヨガは実践して損はないってことなんだなって思いました。

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