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【同世代を奮わせる男】同世代の活躍が奮起のきっかけ!?アレックス・モルチャンのヒストリー#107

皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。

 この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介していきたいと思います。
 「アレックス」の愛称で呼ばれている、スロバキア人のアレックス・モルチャン選手についてご紹介です。
 この記事では、現在TOP100に1名だけとなっているスロバキア人アレックスのが今までどのようキャリアを歩んできたのか、どのようなサポートを受けて成長をしてきたのか振り返ってご紹介していきたいと思います。(2021.09.03現在)

※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。

アレックス・モルチャン
自身のアイドルであるナダルのフォアとバックとそっくりなフォームが特徴。面の当て方がうまく、トリッキーなショットで相手を驚かせる。日本食(寿司)や文化が好き。

「5歳でテニスを始め、12歳で母と共にスロバキアの首都へ引越し!」

ジュニア期のアレックスとH.フルカチ

 1997年12月1日スロバキアのプレショフで理学療法士の母の元産まれ、5歳でテニスを開始しました。幼少期はサッカーとアイスホッケーをプレーしていましたが、地元のテニスコーチが才能を開花させるために、引っ越す必要があることを伝えました。
 12歳の頃に母と妹と故郷から約400km離れた首都のブラチスラバへ引越しをしました。3年後の15歳になると母は故郷へ戻り、アレックスは1人で首都に残りテニスをプレーすることになりました。
 

「同世代の活躍による奮起」


Old Friendと語るA.ルブレフと2022年1月のGS・A



 10代の頃は、肩と背中の怪我が発症、2017年の19歳の頃には手首の怪我で離脱を経験しています。そんなアレックスのジュニアの頃の大会は、14.1歳~17.8歳の間で89勝44敗(勝率67%)でした。
 怪我の離脱によるランキングが上昇しない、アレックスに火を付けたのは”Old Friend(古い友人)”である同い年のA.ルブレフでした。2017年の19歳の頃、A.ルブレフはGS・UでQFまで進出していました。
 2017年は313位でスタートしたアレックスはそこから奮起し23歳でGS・Uに初出場し、3回戦進出を達成するまでに成長をしました。


「23歳からのスタートダッシュ」

3度目のツアーでは予選から一気に決勝戦まで躍進!


 ランキングTOP100を切ったのは2021年11月22日の23.11歳でした。313位からスタートし一気に100を切り、2022年5月23日には最高位の38位を達成しました。
 最高位達成後コーチ陣営に元ジョコビッチのコーチであり同胞のM.バイダが加入することになりました。M.バイダはジョコビッチの20回のGSタイトルを獲得したコーチでもあり、経験も抜群です。
 スロバキアの同胞を育てるためにコーチ陣営も抜群の状態となり、どこまで最高位をあげ続けることができるのか楽しみの選手です。今後アレックスがスロバキアの未来となり活躍し続ける姿を期待しています。


 今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ~という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
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PS.日本の文化やお寿司を好きになった理由を伺いたいです!




〜CC(Change Court)について〜
 CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
 「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
 

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