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源氏物語、いきなり名場面集BEST10

※こちらのnoteは企業の社内セミナー向け資料を公開するものです。あくまでも資料のためところどころ文章として成立していない部分があります。ご容赦の上お読みください。

でははじまり、はじまり。

源氏物語は超基本情報だけ抑えておけば、どこから読んでも楽しめる。それが大きな魅力。

覚えておかなくてはいけない超基本とは?

●54帖で構成
ひとつひとつが短編小説になっていてそれが集まっている。
紫式部がそのような意図をもって書いたかどうかは定かではない。
物語成立から200年後の鎌倉時代に54帖で定着した。
私たちに馴染みがあるそれぞれの帖の名前は紫式部がつけたのかどうかわからない。
登場人物の名前はエピソード、帖名、詠んだ歌、出生地や身体的特徴から後世つけられた。

●54帖はいろんな説があるが、三部に分けられる。
①一部が、桐壺から33帖の藤裏葉(ふじのうらば)。
光源氏の誕生、恋の暴れん坊伝説、挫折からの復活、この世の栄花、おじさん化まで。

光源氏おじさん化とは?
第一部の二十二帖から。
二十二帖で玉鬘というかつてアバンチュールをした夕顔と頭中将の娘と出会うが、結果的にものにできなかった。

②第二部(34帖~41帖)は急に暗い展開に。中年光源氏の憂いと老い。女三宮との結婚。女三宮と柏木の不倫と出産。紫の上の死。
   

③第三部(42帖~54帖)は光源氏の死後、孫の世代が繰り広げる群像劇=宇治十帖。

源氏物語はどの帖から読んでも楽しめる。が、あらすじを抑えておくとそのことが容易になる、あるいは全部読んだ気になるのでよろしければ下記の記事をどうぞ。

では早速名場面集に。気分は歌番組のベストテン!

第一位 光源氏と六条御息所の別れ

日本文学研究家のドナルド・キーン先生は「日本文学史」の中で、「ここは作品全体でももっとも美しく書かれている部分の一つ」と書いている。紫式部研究家の山本淳子先生もこのシーンの美しさを挙げていた。

六条御息所(ろくじょうみやすどころ)とは?
間違いなく物語、特に第一部のキーパーソン。六条御息所は東宮に入内し子どもを生むが東宮が死去。源氏より7歳くらい年上。光源氏が17歳のときから23歳くらいまでつきあった。

源氏より7つ年上だから24歳から30歳くらい。

身分も高く、知性もあり、気位もあるが、年下の光源氏にメロメロになり、いろんな問題を起こしていく。

光源氏が23歳、六条御息所が30歳の別れのシーン。伊勢の斎宮として下向する娘に付き添って都を離れる六条御息所と光源氏が愛を確認し合うが別れるという。

斎宮(さいくう)とは?
天皇の代わりに伊勢の神宮に奉仕をする皇族の女性。六条御息所の娘は東宮との間にできた子ども。その子どもが小さいのでともに伊勢に向かうことになった。

10帖「賢木」(さかき)は源氏物語の中でもハイライトのひとつ。

遥(はる[- けき])けき野辺(のべ)を分け入りたまふより、いとものあはれなり。

神宮に行く前に潔斎、心身を清めている嵯峨野に分け入っていく源氏。ここで日常の世界が後退して「野辺」という別の世界が目に広がっていく。そしていとものあはれなり。この短い自然描写ですでに今日恋人たちは別れるんだなということを予感させる。

紫式部は小説において自然の描写に心情を託した世界で最初の人物とも言われている。そのことは続く文章にもよく現れている。

秋の花、みな衰へつつ、浅茅(あさぢ)が原も枯れ枯れなる虫の音に、松風(まつかぜ)、すごく吹(ふ)きあはせて、そのこととも聞き分(わ)かれぬほどに、物の音(ね)ども絶え絶え聞こえたる、いと艶(えん)なり。

秋の花、衰え、枯れがれ、虫の音、松風など。古今和歌集からずっと続いてきた和歌のパワーフレーズがこれでもかこれでもかと畳み込むように出てくる。秋の花衰えで恋の終わりをここでばしっと。秋は飽きるのあきも意味する和歌の常套手段。雑草が枯れがれの浅茅が原で虫の音も途絶え途絶え聞こえてくる。

秋の終わりで花も枯れ、虫も死んでいく。そこにまた風の音が荒涼として聞こえてくる。そしてこの自然描写を艶なり、趣があるとしめる。男と女の別れとしてこれ以上の舞台はない。

この後ふたりは歌を交わし、最後の一夜をすごすが、その逢瀬は懐かしさに満ちていた。

そして、この恋を閉めるシーンは

ようよう明けいく空の気色、ことさらに、作りいでたらむようなり

第二位 六条御息所と光源氏、朝の別れのシーン

六条御息所お見送りシーン『夕顔』(4帖)。光源氏18歳と六条御息所25歳がまだ熱々だった時のこと。おそらく激しい一夜を過ごした。

女はそのはげしさからぐったりとしている、若い男はその横でぐうぐう寝ている。六条御息所は男に早く家に戻るようにいうが、くったくのない男はぶぅぶぅいいながら出ていくという。

霧のいと深き朝、 いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなる気色に、うち嘆きつつ出でたまふを、 中将(ちゅうじょう)のおもと、御格子(みこうし)一間(ひとま)上げて、 見たてまつり送りたまへ、 とおぼしく、御几帳(みきちょう)引きやりたれば、御頭(みぐし)もたげて 見出(みい)だしたまへり。

訳:霧のたいそう深い朝、ひどくせかされなさって、眠そうな様子で、溜息をつきながらお出になるのを、中将のおもとが、御格子を一間上げて、お見送りなさいませ、という心遣いらしく、御几帳を引き開けたので、御頭をもち上げて外の方へ目をお向けになっていらっしゃる。

このシーンはよくフランス映画の官能シーンに喩えられる。ぐったりとした髪の長い年上の女性がベッドから首だけをもたげて、男を見送るみたいな

几帳と御簾の違いは下記を。

第三位 六条御息所をものにした光源氏のひどい態度

六条辺りの女君も、うちとけない態度がとけて口説き落としてからは、急に熱が冷めてしまったのでは、可愛そうだ。だが自分になびかず、他人であった頃のように、思い悩んで熱中しないのは、どうしたことだろう。こう思っていた光源氏が一夜を過ごした後の別れが第二位のシーン。敏い六条御息所は光源氏の様子には気づいていて、その心中を想像すると切ない。

4位から9位は和樂ウェブスタッフ、平安暴走戦士千晶セレクト。

第四位 光源氏と藤壺との逢瀬

藤壺は桐壺帝の妻。桐壺帝は光源氏の父なので藤壺は義理の母とも言える。この藤壺が光源氏にとっては永遠のマドンナ。

光源氏は義理の母である藤壺とまぐわう。それが『若紫』5帖。

光源氏が藤壺と逢瀬を遂げたシーン(これが2度目と書かれている)。直接的なエロというわけでもないですが、やっぱり一番好きな人との逢瀬は何にもかえがたく燃えるものだと思うので、その中身を想像するとしみじみするものがあります。(chiakiより)
見てもまたあふよまれなる夢の中(うち)に やがてまぎるるわが身ともがな
こうして会ったけど次はいつ逢えるのでしょうか。夢のような今この夢にまぎれてしまいたい。
いっぱい光源氏は恋をしているけれど、多分この「夢の中にこのまま消えてしまいたい」という思いは、彼の心からの本心じゃないかな~と思いました:うふふ(原文ママ)

この逢瀬によってか?藤壺は懐妊。藤壺は美しい源氏を見て心を動かされるが、突如出家。源氏は激しいショックを受ける。光源氏が関係をもつ女性はすべてこの藤壺の身代わり。特に藤壺の姪にあたる紫の上がその筆頭。

源氏物語は主題が形をかえ繰り返し演奏されるバッハの小(しょう)フーガみたいな物語。

最初に主な旋律(主題)が演奏される → 桐壺帝と桐壺の更衣の許されぬ恋で光源氏が誕生。

音程をずらして主題が演奏される → 母に似た藤壺に恋をし密会し、藤壺が懐妊。

主題が、前の音程を追いかけるように繰り返される →藤壺に似た紫の上を見つけ妻にする、40歳の時に妻とした皇女、女三宮が頭中将の息子である柏木と密通し出産。

第五位 男19歳、女58歳の交際

源典侍とのやりとり『紅葉賀』(7帖)。光源氏19歳、源典侍57、8歳

下ネタ要素満載の光源氏とのやりとり。「森の下草老いぬれば」と源典侍が書きつけたのを、光源氏は「とんでもないな」と言いつつ笑っている。その後の和歌のやりとり。

源典侍「君し来ば手なれの駒に刈り飼はむ さかりすぎたる下葉なれども」と言ふさま、こよなく色めきたり。
訳:「あなたがいらっしゃるなら、手馴れの馬(馬で来訪することを指すが、多分ちんレイクのことも暗に示すと思う)に草を刈って食べさせましょう。若くない下葉ですが。」と言う様子が、とても色っぽい。

これに対して源氏が返した歌が、

源氏「笹分けば人や咎めむいつとなく 駒なつくめる森の木(こ)がくれ」
訳:笹を踏み分けて逢いに行けば、人に咎められるでしょう。たくさんの馬が寄ってくる森の木隠れにおいでになるのだから。

第六位 朧月夜と光源氏の密会がバレたシーン

賢木は54帖のうち10帖。賢木はいろいろありすぎる帖。もうジェットコースタードラマそのもの。

六条御息所が伊勢へ去る。→名場面集一位
父である桐壺院が崩御する。
右大臣家の力が強くなる。
最愛の人、藤壺に拒絶される。
病で自宅に下がった朧月夜と密会を重ねる。
この頃朧月夜は帝の秘書として出仕していた。
そもそも朧月夜は帝の正妻になるために育てられていた。
それが光源氏との関係によって妻としてではなく秘書として出仕することに。

朧月夜とは?
右大臣の娘、この時の帝、朱雀帝の母の妹。右大臣家は朧月夜のこともあって、光源氏のことを目の敵にしていた。

彼女が病で自宅に戻った。示し合わせて、毎晩密会する。この時最大の権力者である右大臣の家で、帝の秘書を務める娘と夜な夜な密会。

聞こえ交(か)はしたまひて、わりなきさまにて、夜な夜な対面(たいめ)したまふ。
いと盛りに、にぎははしきけはひしたまへる人の、すこしうち悩みて、痩せ痩せになりたまへるほど、いとをかしげなり。

この時の朧月夜を評して、

盛りを迎えた色気ムンムンの女性が、病をわずらって痩せた姿もまた風情がある。

この美的感覚がすごい。

で調子に乗って毎晩会ってたら、密会がばれるという。源氏物語は場面の描写が素晴らしいのでここはじっくりと見ていく。

雨がにわかに激しく降ってきて、雷がひどく鳴る明け方、舘の息子や宮司たちが騒ぎ出し、あちこちに人目が茂くなり、女房たちも怖がって近くに集まってきたので、君はすっかり困って、退出できずに夜が明けた。大臣がやって来て、気軽にすっと中へ入ってきて、御簾を引き上げたままの状態で見舞う。朧月夜は顔を赤らめたままいざりでる。
「どうして顔色が悪いのか。物の怪は容易でないから、修法を続けるべきだろう」
 と言うのだが、薄二藍の帯が、衣にからまって引き出されているのを見つける。
畳紙の手習いをしたものが、几帳の元に落ちていた。「これはどういうことなのだ」 と、心から驚いて、畳紙をとりながら几帳から中を見入ると、たいそう色めいて遠慮するふうもなく臥している男がいた。今、おもむろに顔を隠して、なんとかとりつくろっている。驚きあきれて、腹が立ったが、面と向かってはどうして露見させられようか。

この場面に関してchiakiの感想が、、、

この一連の流れは「親がいないと思って彼氏を家に連れ込んでたら、親が部屋にきた」という感じが面白いです。朧月夜の顔が真っ赤になっているのには、エロさを感じます。この頃2人はしょっちゅう逢っていたようなので、盛り上がってたんだなとも思います。そして、あまり盛り上がりすぎて調子にのると痛い目にあう、という教訓も感じました。こうしてみていると、私はなんとなく自分の経験にあてはめたりしちゃうのですが、紫式部は恋愛に関してわりと保守的な人だと思うんです。なのに、どうしてここまで、人をしみじみさせることを深くたくさん書けるのかと不思議です・・・。しかも男の立場で書けるのが。また夜にでも続きを書きますね:うふふ:(原文ママ)

第七位 光源氏が蛍を放って玉鬘の姿を蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)が垣間見るシーン 

『蛍』25帖。

ちょっと趣は違うけれど、暗いレストランとかで女性を見るとドキドキするのに似てる気がする。ただでさえドキドキしてる蛍兵部卿宮が、玉鬘を忘れられなくなるのは必至の官能的なシーンかなと思いました。(chiaki)

光源氏のおっさん化が甚だしいシーン。蛍兵部卿の宮は光源氏が特に親しくしていた弟。玉鬘を見初めて口説いていた。→光源氏も口説いていたりする。ふたりのやりとりを見ていた光源氏がこっそりと蛍を放ってその光で蛍兵部卿の宮に玉鬘を見せたという。

宮は、姫のいらっしゃる所を、あの辺だと推量なさるが、割に近い感じがするので、つい胸がどきどきなさって、なんとも言えないほど素晴らしい羅の帷子の隙間からお覗きになると、柱一間ほど隔てた見通しの所に、このように思いがけない光がちらつくのを、美しいと御覧になる。間もなく見えないように取り隠した。けれどもほのかな光は、風流な恋のきっかけにもなりそうに見える。かすかであるが、すらりとした身を横にしていらっしゃる姿が美しかったのを、心残りにお思いになって、なるほど、この趣向はお心に深くとまったのであった。

第八位 匂宮と浮舟が隠れ家で過ごすひととき

『浮舟』 51帖。浮舟が薄着なのが、エロティックポイントだと思います。この時2人は1日中愛し合っていて情熱を感じますが、薫への対抗心がその情熱の着火剤になっている気が。男性は、嫉妬心を感じると燃えると聞きますが、そんな感じかなと思いました。(chiaki)

これは光源氏の死後の話で俗にいう、宇治十帖。光源氏の孫の世代が繰り広げる平安版男女七人恋物語。宇治十帖までは光源氏を軸にして、関係をもった女性たちを描いていったが、宇治十帖は男女6人が登場して、それぞれが自我を持って、かって気ままに行動する群像劇になっている。1000年前の物語としては画期的とさえ言える。

どこが画期的か?

特に薫と匂宮というふたりの男の間を行き来する浮舟という女性の描写。瀬戸内寂聴先生が書いていらっしゃるがこれは現代小説だと。薫という優しくて穏やかな男性に愛されながらセックスには魅力を感じない。そこに薫のライバルである匂宮が登場し、強引に逢瀬をするのが上のシーン、浮舟は心と体が切り離されていくという。

山本淳子先生は、かつては心の薫、体の匂宮というかつては二項対立で見られていた宇治十帖はもっと複雑な物語だという。人間にはさまざまな心があって、それが一番現れるのが恋であると紫式部は言いたかったのではないかと。

第九位 「空蝉」光源氏17歳のワンナイト

人妻との一夜の恋。平安のマディソン郡の橋。(2帖 『箒木』(ははきぎ))

帚木とは?
信濃(長野県)の園原(そのはら)にあって、遠くからはあるように見え、近づくと消えてしまうという、ほうきに似た伝説上の木。転じて、情があるように見えて実のないこと、また、姿は見えるのに会えないことなどのたとえ。(デジタル大辞泉より)
長雨の降り続くある夏の夜のこと、源氏の宿直所に葵上の兄であり、源氏のよきライバルである頭中将が訪れた。頭中将が源氏に贈られてきた恋文を見つけたことから、やがて話は女性論になる。そこに好き者として知られる左馬頭と藤式部丞が加わり「雨夜の品定め」が繰り広げられる。話の中で、源氏は頭中将が後見のない女性と通じ子まで成したのだが、正妻の嫌がらせを受けいつしか消えてしまったという話を聞く。また、源氏は自分とは縁がなかった中流の女性の魅力を三人の経験譚から知り、中流の女性に魅力を覚える。理想の女性はなかなかいないと言う彼らの話を聞きながら、源氏は理想の女性、藤壺にますます思慕を寄せる。
翌日、源氏は方違えのため紀伊守の別宅を訪れ、そこで紀伊守の父の後妻・空蝉が居合わせていることを知る。中流の女性への興味を募らせる源氏は、その夜半ば強引に寝所に忍び込む。その後源氏は空蝉の弟、小君を召し抱え空蝉との再会を狙うが、自身の身の程を知る空蝉はそれを許さなかった。
源氏、十七歳の夏のことだった。

10年後源氏が京都に戻った翌年再開し、文を交わすように。空蝉は出家するが、光源氏とのこの一夜が彼女にとっては永遠の恋だったような気がする。

第十位 酒に酔った光源氏と朧月夜が出会う運命のシーン

『花宴』(はなのえん 8帖)

夜更けに酒によった光源氏が藤壺を探してさまよっていたところ、戸口をあけていた朧月夜に出会う。光源氏はとっさに彼女の袖を捉え、抱きおろして戸を締める。いきなりのことで朧月夜は最初怯えているが相手が光源氏と知って拒まず、一夜を明かすストーリー。
少し強引に攻める光源氏の様子と、まだ若くてそれをそのまま受け入れる朧月夜。「らうたしと見たまふに」と、夜明けに朧月夜を可愛らしいと眺めている様子。
朧月夜の父は光源氏の政敵、そして朱雀帝の寵愛を受ける人物。しかし彼女は光源氏に本能的に惹かれ、その後も関係が続く。

本命同士ではないだけに、いつか終わると分かっていても身体だけの関係を楽しむ2人。意外とこういう関係が長続きしたりする。

まとめ

トレンディドラマや映画、現代小説に例えた話もたったひとりの女性が1000年前に生み出した話。それがすごすぎる。



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