確定演出はない
もうこの次はないと思う
ラストチャンスだった、本当の。
女の子の『特に理由はないけどなんかやな予感』って、だいたい当たる
特に、男の子に関する内容は、ほぼ確定。
拝啓、親愛なるあなたへ
高校3年生のとき、人々のQOLをあげたい!!!って言ってる女の子に出会った
当時通ってた学習塾の同期の女の子。ユニバが大好きで、ダンスをしてて、無邪気な子どものように笑う子だった。
東京まで祖父母に会いに行った帰りの新幹線で、特に理由はないけど、その女の子のことをふと思い出して、自分のQOLについて、ちょっと考えてみた
毎日ほんと何の不自由もなく生きているし、好きな人もいて、大好きな友だちもいて、帰る家と家族がいて、
あったかいお風呂に浸かって、ふかふかのお布団で眠る
幸せだと、思う
でも結局のところ、いつまでも自分が満たされないのは、全てが他者依存だから。
誰かに幸せにしてもらうことを心のどこかでいつも望んでしまっていて、「だめだなあ」と。
でも、思い返してみれば、私の人生のキーワードはずっと「人」
いい時も悪い時も、人との繋がりが全てをもたらしてきたし、それって誰でもそうなんだろうけど、その色が濃すぎる
人生最高のときは、誰かとの出会いで、人生最低の時は、誰かとの別れだった
当たり前のように愛し愛されてみたい、そう思う
三島由紀夫が真実を語っているのならば、私は間違いなく、神秘を秘めている女の子ではないから、
私の夢は叶わないことになる。
さて、どうなんだろうか?
QOLの話に少し戻ると、他者依存の幸せは必ず終わりがある、人って永遠に生きるものではないからね。
日常に転がる小さな幸せを自分で見つけて、よく言う「自分の機嫌を自分でとる」ことができれば、私の心にぽっかり空いた穴は埋まるのかもしれない
まあ、それでも私は、一縷の希望を捨てることもできずに愛され待ち、幸せ待ちしてしまうのだ。
ただ、愛されるために、幸せになるために、環境偏差値を上げるのも努力するのも、全部自分なんだな、と思う。
尻尾を保存することは出来ずとも、その尻尾が変わることのないという安心感は持たれたくない
彼奴はいつでもそこにいるだろうなんて、やだよ。
待ちくたびれんだ、君のこと。
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