子どものごちゃごちゃに向き合うこと

子育てしてると、どーにもこーにもならん状況がある。

公園から帰りたくない、ご飯食べなーい、自分でやりたい!

仕事に家事に、常に時間に追われてる私からすると、こういうメンドクサイ状況に付き合う時間が苦痛でしかない。なるべくこういう時間を減らしたい。
それで、分厚い育児書の類から、さらっと読めるネット記事にくまなく目を通して対策を調べる。

帰りたくない子には、道を教えてもらうふりをせよ、競争を仕掛けてやる気を出させよ、決して物で釣ったり、オバケで脅したりしてはいけない。
ご飯食べない子には、盛り付けや皿を工夫せよ、食べなくても毎日食卓に出せ、味覚が未熟な子どもは苦手なものがあって当たり前なのだから、無理強いするべからず。あくまで食卓は楽しく!食事を嫌いにならないように。
自分でやりたがる気持ちは、とても大事なのだから、時間が許す限り付き合うべし。できたらこの上なく褒めるべし。そのあとの始末がどれだけ大変でも、そこにどれだけ向き合えるかで親の真価が問われる。

そして、いずれも、まずは必ず気持ちに共感すること。

などの言葉が並んでいる。

これらを信じて、子どもにより良い関わりを、時間の許す限り目指してきた。

でも、うまくいかなかった。どの対応も慣れたら限界がくる。共感しても「それがどうした」と言わんばかり。癇癪を起こさせないための小手先のテクニックはすぐに耐性を生み、手を替え品を替えのイタチごっこ。そして、自分の余裕のなさ(これが大きな要因。)。

だから、私はやめた。
帰りたくない、という子どもを無理やりひっぺがしてマグロのように暴れる息子に蹴られ殴られても絶対に譲らない。時間なのだから帰るのだ。
ご飯食べない?そんなもん知らん!うちにはこれしかない!そんなこと言われて、残されて、作った人間の気持ちがわかるか!
自分でやりたい?後ろで待ってる人の迷惑だろ、最後まで自分で始末できることしかやるんじゃない!自分の限界を知れ!撤収!

書いてて、これは世にいう毒親なのかも、と、ちょっとゾッとする。でも、癇癪を起こさせないことが本当に正解なのか?とも思う。
いやだ、やりたい!、やりたくない!と抗う気持ちを思う存分吐き出させて、自分に折り合いをつける練習も大事じゃないのか?いや、でも親が押さえつけて枠組みを強固にすることで、学習性無力感(どーせダメじゃん)を植え付けることにもなりかねんか?でも社会って枠組みにハマれない奴はよっぽどじゃない限り淘汰されるよなぁ…淘汰されていいのか?淘汰されたらどうなるの?こんな社会からは淘汰されてもいいのか?でも最低限、死なないでほしいよなぁ…。
…いくら考えても答えは出ない。その日暮らしの対応しかできない。

そうして私は今日も息子の活動を阻み、
睨まれて、お母さんなんか大っ嫌いの大合唱をひとしきり浴びたあと、やっぱり好きだから遊ぼうや、の誘いに喜んで乗るのである。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?