見出し画像

パン屋のオーナーになったはなし

こんにちは。ふるかわです。生まれ育った横浜を離れ、群馬県南牧村(なんもくむら)というところに移住し、林業の会社を経営しています。ところで去年の暮れにパン屋のオーナーになりました。

そうなんす。飲食系の店を持つ人生になるなんて到底想像していなかったんですが、気付いたらパン屋のオーナーになってたわけです。今回は、パン屋のオーナーになるまでのいきさつ、そして私なりの想いを軽く書いてみようかとおもいます。いっつも書き始めるときは軽く書くつもりなのに、重くなることがしばしば。今回こそは軽く済ませる…!ぞ!過去記事読んでくださっている方は前半すっ飛ばしてください。


1. ここ数年のまとめ(ざっくり)

私はトラックオタクなもんで、大学卒業後プラプラとトラックドライバーしてました。その前は数学の先生とか高校生向けの教育事業とかやってたんですが。いろんな業種に手を出していると、ある程度技術が身について得意になるもんですが、得意になればなるほどなかなかその世界から抜け出しにくくなるもんだなと思っていて。そうなったときに特技を捨てる勇気を持って、新しい世界や新しい自分の姿を根気強く探し求めるって大事よね〜なんてことを思ってます。

その結果始めることになったのが林業で。しばらく作業員として修行していたものの、会社作った方が仕事の幅の面でメリット多いかなと思って林業の会社を立ち上げたわけですね。それは私の行動理念でもある「地球に恩返し」というフレーズにもリンクしていて、普段資源の利用で迷惑ばっかかけている地球に対して少しでも恩返しできるようなアクション起こせたらな〜という想いからも派生しています。

いま拠点にしている場所は、群馬県の南牧村というところ。長野県南牧村はミナミマキムラ、群馬はナンモクムラ。しょっちゅう間違えられるので何度でも言う。群馬の南牧村は、高齢化率が日本一ということで有名な地域。いざ住んでみても感じるデータ通りの高齢者の多さではあるものの、そのぶん年配の方々の優しさにも囲まれ、先人たちの知識や知恵にもとても近い距離で触れられる、結構素敵なところだと思って生活しています。

そんな地域にいると、「地方創生」「まちおこし」みたいなことをやっている人間と思われがちなんですが、ぶっちゃけ村限定の活性化にはあまり興味なく。日本の総人口減るのわかっていて移住者の取り合いっこに身を削りたくないよなーと。そして価値の感じ方を全国で統一するから優劣が生まれるのであって、地域ごとの価値や理想を持ち、嫌でも衰退してしまうこの先数十年の未来をできる限り軟着陸させる必要があるよなーとか思っていて、それが日本全体、地球全体のためになるかなと勝手に思っています。

みたいな話も、パン屋を語るうえで必要になってくるので、過去記事参照ばかりですがはじめに入れさせてもらいました。やっと本題です。


2. パン屋のオーナーになった経緯

もともとこの村には「とらおのパン」というパンがありまして。その名の通り、虎雄さんという村のお爺さんが焼いていたパンです。ずっしりした重みがあり、いぶされたような香りのする、でも食べるとほんのり甘いという独特な石窯焼きパンは、村内外どころか群馬県内外でも人気。道の駅で販売されるも売り切れ続出なことから、幻のパンとも呼ばれるような商品でした。私もファンでした。

しかしながら昨年、虎雄さんは体調を崩されてパン屋を引退。弟子を取ることもなく一人で焼いていた幻のパンは、ファンに惜しまれながらもひっそりと道の駅から姿を消してしまったのでした。その数ヶ月後にお亡くなりになった虎雄さんでしたが、亡くなる前にパン焼きに使っていた石窯(と、その周辺施設)を村の活性化に役立ててほしいという想いで村に寄付されました。

寄付された石窯は村が利用者を募ることになり、村内在住者及び村内の法人を対象に公募が行われ、その結果弊社(林業の会社)が石窯をお借りする権利を得ました。こうしてパン屋経験どころか、パン焼き経験すら一度もないなかで、パン屋さんのオーナーになることになりました。

いや、そもそもなぜ石窯を借りようと公募に手を挙げたのか…?というところですよね。当初はあまり深い理由はなかった…なんて言ったら怒られそうですが、「なんとしてでもとらおのパンを復活させる」というような強い意気込みがあったわけではありませんでした。パンでもピザでもいい、村の貴重な財産である石窯を使って何かしら生み出したい、という衝動のようなものでした。衝動と言いながらも、まずは窯の成り立ちへの敬意を込めて、とらおのパンに似たようなパンを作るということは決めていました。

そして石窯でパンを焼くときには薪を使うので、木材資源の有効活用という意味合いでも、もともと林業の会社である弊社が石窯運営に参入することは決して不自然な動きではありません。(現在もパン焼きには村や近隣自治体で採れた、利用価値がなければ捨てられる運命の木を薪に加工して使用しています)ちなみに、虎雄さんご本人は元々林業を研究し実践されていた方ということもあり、そこにも不思議なご縁を感じます。


3. 「とらのこぱん」としての歩み

とらおのパンに似たようなパンを…と言ってもレシピが残っていたわけではなく。そもそも虎雄さんは生前「俺にしか焼けねぇからとらおのパンっつうんだ」くらいなことをおっしゃっていたので、仮にレシピがあってもとらおのパンは焼けないわけです。あくまでかつてのとらおのパンを思い出せるようなパンを作りたい、という方向性で研究と開発を重ねることになりました。

とらおのパンの子分。そんな意味合いも込めて名付けられたのが「とらのこぱん」。10月に石窯を借り始め、開発1ヶ月強、開店準備1ヶ月。12月18日に無事販売を開始させることができました。(実は会社の名前がサンエイト企画で、法人設立が2021年3月8日、結婚が同年5月8日、石窯を借りられることが確定したのが同年9月8日と来ていたので、12月8日のオープンを目指していましたが、食品にかける保険の適用が間に合わず18日になりました)

道の駅オアシスなんもくでのみ販売、金土日のみの販売、祝日販売は不定期。1個380円、売り切れ次第終了。(販売開始時点の情報で、今後変更になる可能性があります)380円という値段設定が、会社名のサンエイトから取られているということは全然誰にも気付かれませんが、まあそれくらいがちょうどよいでしょう。原材料費や燃料代の高騰などで(既に12月時点から数ヶ月で1割以上上がっている)、価格を変更する可能性もありますので最新情報はSNSなどでご確認ください。

それにしても「とらのこぱん」の営業開始前の試作品がだんだん「とらおのパン」に近付いた頃、試作品にナイフを入れた瞬間の感触がとらおのパンそっくりで。開発は他の人に任せていたんですが、自社製品ながら感動してしばらく涙が止まらなくなってしまったというのも正直な話。この日を境に伝統や文化、それらの継承といったテーマでの思考が私自身の脳内で一気に進んだというあの感覚はしばらく忘れないだろうな…。そのへんの話は次の章で。

その後厳しい寒さと戦いながら(マイナス二桁)営業を続け、「とらおのパン」の知名度にも大変ありがたいことに助けられながら順調に販売。メディア出演の機会も営業開始間もないパン屋としては異例なほど多くいただきました。(NHK群馬版、NHK関東版、テレビ朝日関東版、上毛新聞、朝日新聞、youtuber、ブログ等…)ご覧いただいた方ありがとうございます。


4. 伝統や文化を継承するということ

継承と言えるほどの継承なのかわかりませんが。そもそも営業開始からまだ半年も経っていませんが。

多くの都会に住んでいる人にとって、田舎は廃れていくものだと思われています。そして田舎自治体の維持存続のために、税金が多く使われることに不満を感じる方も一定数います。また特に最近、極論論者がSNSや若者向けメディア等で発信している意見でも目にしますが、限界集落は維持するコストが無駄だから潰せばいい、追い出して街場に住まわせばいい、という考えの方もいます。閉塞感を打破するために極論が必要であることはわからなくはないんですが、それ、本気でそう思われているならなかなかに恐ろしいことのように思えます。

まず、都会と田舎は山、川、海を介してすべて繋がっています。川の上流である山の田舎で災害が起きると、下流の街にも災害の影響が出ます。食料もエネルギーも田舎から都会へ流れます。都会と田舎はそう簡単に切れる関係性ではないはずです。また、検索すれば何でも1秒で正解がわかってしまう便利な時代なので忘れがちですが、先人たちの生きる知恵や技術は田舎にいっぱい眠っていて、それらの中には検索しても出てこない(そもそもどう検索したらいいかわからない)ものが多くあります。それでも、限界集落を今この時代に捨てることができますか。ということです。

もちろん全ての集落を残すべきかと問われると、それは非現実的かもしれません。しかしながら、生きる知恵や技術、その地で人々が生きてきた証、伝統や文化などを全て捨ててまで田舎を潰すということは、私には正解に思えません。人間勝手の極端な行動が地球にとって、人々にとって、またほかの生命にとって、良からぬ結果を招くこと、それはこれまでの人類の行動の反省からも言えるのではないでしょうか。公害、土砂災害、花粉症、思い当たる節はいくつもあるかと。

私がいる南牧村は、現在人口が1600人ほど。毎年のように人口が100人近く減り続けています。そのため村内では大正時代から続いていた老舗うどん屋が潰れたり、村内各地でお祭りが廃止になったりと、何かが「なくなる」という現象が毎年のように発生しています。その状況に村民も慣れてしまったのか、「残念だねぇ」とは言うものの、そこに何かしらのテコ入れをしようと動く人は相当な少数派。10個伝統があったら10個なくなる、そんな状況。でした。

そこで今回の「とらのこぱん」です。作り手もレシピも違うので、「伝統を継承した」と堂々と胸張って言えるかはわかりませんが、我ながら私が知る限りでは村内においてなかなか珍しい「復活した」という現象だったのではないかと思っています。10個伝統があったら9個なくなっても1個残った、とでも言えるでしょうか。これをきっかけに「なくなりそうなものが復活するってこともあるんだ」、と村民の認識が少しでも変わればな、と。衰退することがわかっていながらも少しでも軟着陸できれば、100個の伝統のうち95個失われようとも、5個残る可能性が生まれるかなと。思います。

そしてどの伝統が残るかは、わりと運だと思っています。今回私が石窯の利用希望者に手を挙げていなければ、道の駅にトラ模様のパンが並ぶことはもうなかったかもしれない、しかしたまたま手を挙げたから今日もトラ模様のパンが並んでいるんです。それは相性や出会い、色々あるでしょうけれども運と想いです。意外とそんなもんで、首の皮一枚つながって今日まで語り継がれているものもあるのかもしれませんね。

目先の利益にとらわれず、緩やかな衰退を目指して、前向きな空気感を、頑張りすぎずに作る。というのが、人口減少社会日本を生きるうえでの今の暫定解かな、と思っているところです。


5. まとめ

いつも似たような結論になっている気がしますが…。要するに、

・地球が好き
・衰退を軟着陸
・たまに伝統を残す
・前向きな空気感

そんなところですかね。今回もありがとうございました。ちなみに、いつもどんな口調にしようか困るので記事ごとに口調違うのが悩みです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?