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林業の会社作ったはなし

2021年3月8日、会社設立。代表取締役になりますた。古川です。まぁなんか林業って本当にいろんな切り口で話を膨らませることができるジャンルで、何から書けばいいかよくわからないんだけど…とりあえずこんな感じでゆるく書いていく。よ


1. 古川と林業とのつながり

これは至るところで書いているんだけれども、2014年の5月(当時大学2年)に高校時代の親友が登山中に山で滑落死した。もともと古川自身も自然や山が好きな人間で、ちょうどこの事故発生日も埼玉の山にいたくらいであった。そんな自分にとって好きな山が、本当に人間の命を奪う存在なのだ、とそのとき初めて知った。しかも親友の命を。

このままでは山を恨んでしまいそうだ、と思った。そしてちょうど機会があって2ヶ月後、2014年7月に青梅市の林業現場の見学会に参加した。葬儀やら何やらでこの頃心身共に忙しかったのか、申し訳ないけど現場見学の記憶はわりと薄い。でも確かに行ったので、その後も旅行等で近くを通るときには「この現場行ったな〜」と思い出していた。

その後、アカペラのコンサートの運営をしてみたり、高校生相手にキャリア教育的なことしてみたり、群馬県の高齢化率日本一村に通うようになったり、熊本の地震の際にgooglemapに情報プロットするサービスやったり、トラックドライバーになったり…。それまでやっていた塾講師の仕事と、色々あったなか2014年5月に始めたレンタカー屋の店員の仕事もしながらドッタバタの大学生活を送ったのだった。

しばらくはキャンプやハイキング程度の距離感でしか繋がっていなかった山と古川。しかし2018年頃に村から山をタダで貸してもらえることになり、さすがに山だけ持っていても困るのでチェーンソーで木を伐る資格を取り。ついでにユンボ(車両系建設機械)の小型の免許もいつ使うかわからないのでとりあえず取り。その山で木を伐ったり整地したりしながら、今はツリーハウスを建設中。3年くらい建設中。サグラダ・ファミリアな未来見える。

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そして2020年1月、群馬での仕事が欲しくなったので林業を始めた。こんだけ長い前フリを書いておきながら、林業を始めた理由はほとんどない。ただ始めるハードルは、かつての山と古川との関係性的な面でもそれほど高くなかったし、林業に必要な最低限レベルの資格は既に揃っていたというのもデカい。昔っから運動があまり好きではなかったし、体力も筋力もなかったが、意外と始めたらなんとかなった。まあ身体が慣れるのに半年以上はかかったが。そんな感じ。


2. 林業ってどんなことするの

林業ってどんなことするのか。その答えは、「山っぽいことに関すること全て」である。木を伐るのが林業だと思われがちだけど、木が伐られる瞬間というのは樹齢40年以上にもなる木が過ごしてきた時間からしてみればほんの一瞬。それまでにも多数の工程があって森林(人の手が加えられた人工林)が育て上げられてきて、今に至っている。

林業は、森に人が歩ける通路を作る「地ごしらえ」、植林する木の苗の「植え付け」といった、木の命のはじまりから仕事が存在する。その後、まだ幼い木は生命力で雑草に負けてしまうので、苗のまわりの雑草を刈ってあげる必要がある。この「下草刈り」という作業は毎年真夏に、苗がそれなりに強くなるまで7年間ほど行う。

その後しばらくは苗も強くなって放っておいてもそれなりに育つけれども、5年くらい放置するとやはり草やツルがえげつないことになるので、「除伐」という作業をして苗間を歩きやすくする必要が出てくる。本当に日本の気候の豊かさはエグい。植物生えなすぎて困る国が多いなか、日本は生えすぎて困る。(暇な人は航空写真の世界地図を見てみるといいよ。気温がほとんど同じはずの同じ緯度の他の国々見てみても、日本ほど緑の濃い国はない)

でもさらにその後は雑草よりも苗が育ちすぎて困るフェーズになってくる。散々邪魔者扱いしてきた雑草も、実は森林にとっては土壌の流出防止等の観点で重要。苗が育ち過ぎると、山の表土まで太陽の光が入ってこなくなってしまう。光が入らないと、苗のまわりの雑草も育たない。そこで育ちの悪い木や都合の悪い木(時と場合によって考え方が異なってくる)を間引きして伐ることになる。これがよく耳にするワードの「間伐」だ。ちなみに下の写真は間伐の現場だが、伐った木は運び出すこともせず、そのまま放置して腐らせる。樹齢30年ほどの木も搬出コストに負けて捨てられるのが現状だ。

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人間というのは自分たちが欲しい木を育てるために、邪魔者である雑草を刈り、しばらくしたら雑草を求めて木を伐り、と森に眠るたくさんの命に対してわりと好き勝手やっているのだ。しかもその好き勝手やった結果、欲しくて育てた木を有効利用するのかと思いきや、海外産の木の安さに負けて野放し状態。なんか今でこそその林業のサイクルに慣れてしまった感はあるけど、初めて現場でそのサイクルを目の当たりにしたときには違和感と呆れがすごかった。

それ以外にも、新芽が大好きな鹿に若い苗を食われないようにする「獣害対策ネット張り」や、鹿が嫌う薬品を噴霧器で散布するのも仕事。あとは森林の手入れをしたり、木を最終的に伐り出したりするときに、作業車が入れるようにするための道作り「作業道整備」も林業の仕事のひとつ。戦後の大規模植林が行われた50年ほど前とは林業のスタイルがだいぶ変わっていて、植林時は機械化前提で山が作られていないからね。

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みたいな数々の作業を経て(これでも一部抜粋)、やっと木を伐るフェーズになるわけだ。樹種にもよるけどここまで最低40年くらいって感じ。人工林は山というよりは、木を植える畑みたいな感覚の方がイメージしやすいかもしれない。

昔の日本はスギの木3本倒せば車を買えたらしい。でも今はそうもいかない。急峻な山の多い日本は木の搬出にコストがかかりすぎるので、海外産材を輸入した方が安い。だから林業家の数も減り、日本の山は放置になりがち。でも木は成長し続けるので、放置しているとどんどん成長する。大きく育ちすぎた木は伐るのに手間がかかりすぎるので後回しになる。機械も使えない。そもそも機械を使おうにも機械が入れる道作りからする必要がある。もうそんな八方塞がりな世界のなか、なんとか工夫して現場作業員は日々奮闘しているのである。それが林業だ。まあこれでもほんの一部の説明にしかなってないんだけど。


3. 林業ってする意味あるの

ここまで林業の手間のかかりっぷりを書いてきたけれども、そもそも手間をかけないといけないのか?どうせ植物なんだしそのまま放置するわけにはいかないのか?緑生い茂っていいじゃん!と思うかもしれない。でも残念ながらそうもいかないのだ。

いま人工林として植林されている木の多くはスギやヒノキ等の針葉樹。針葉樹は広葉樹に比べて張る根が浅い。土壌の流出防止という観点では針葉樹だけではとても弱い。昔の日本では針葉樹は山頂付近の小高い丘に生えてるくらいだったらしいが、今は急斜面だろうが崖だろうがなりふり構わず針葉樹が生えている。大雨が降ると、そういった針葉樹の根しか張っていない急斜面から土壌が流出し、川に土砂が流れ込み、流れすぎると木も立っていられなくなって倒れる。倒れた木が川を流れ、下流域の橋脚を壊したり、川の水路を詰まらせて川が氾濫ということも起こり得る。山は川を通して下流域、海と一直線に繋がっている。災害は連鎖して伝わっていくのだ。

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また森林は山で暮らす生き物とも密接に繋がっている。針葉樹は生き物のエサになりにくい。また針葉樹が生い茂っていると、獣のエサになり得る下草(木のまわりの背丈の低めの草)も生えない。エサがなくなるとエサを求めて人間が暮らす人里の畑に降りてくるしかなくなる。村では鹿も熊も見ることがあるが、それも山の食糧に植えている証なのかなーなんて思う。ちなみに鹿の天敵であった狼は絶滅していて、現在敵なし状態で、繁殖力の高い鹿は今後も相当数増え続けると言われている。山暮らしは鹿との戦い。

あとは林業の仕事として苗を植えて獣害対策ネットも張ったものの、鹿に壊されて苗を全部食べられ、ハゲ山になってしまった現場というのも村内に存在する。そのハゲ山に先日行ってみると、大規模な土砂崩れが発生していた。たしかに村で雨が降ったときに川の色を見ると、その現場より上流は濁っていないのに、現場より下流側が茶色く濁っているのだ。それだけ山の健康状態は川に直結するし、それが下流域である埼玉や東京で暮らす人々の生活にもつながるのだ。

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というわけで、林業はカネにならないからとか儲からないからと言ってやめていい産業ではない、国土や国民の生活を守るうえで欠かせない仕事なのだ。木を売ってカネにすることが仮にしづらくとも、下流域の生活を守ったり、二酸化炭素削減に寄与したり…、目に見えにくい形の価値を理解してもらう必要がある。そんな産業だ。


4. 起業モチベどこから湧くん

ざっとモチベの根源は3つある。
「カネでしか価値を測れない世界終わらせたい」
「日本国内の第一次産業を盛り上げたい」
「地球に認められる存在になりたい」

みたいなところで、まずひとつめ。「カネでしか価値を測れない世界終わらせたい」だけど。もともと自分は東京のど真ん中で宣伝トラックの運転手をしていたことがあって、正直運転中めちゃくちゃ暇なのでスクランブル交差点を見てよく考え事をしていた。なんで次々新しい建物が建つんだろう。なんでビルの中の店が短期間でコロコロ入れ替わるんだろう。どうせ長持ちしない鉄筋コンクリート造の建物をバンバン建てて、ブームが流行っては廃れを爆速で繰り返し…、そんなことをしていて結局百年後の地球には何が残るんだろう。とか。

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今生きている人間の生活を守るための経済活動はできているかもしれないけれども、日本の人口も40年で4000万人くらい減りそうななか、それに見合った社会を構築する準備はできているのだろうか。とか。ほんと考えれば考えるほどカネの悪さみたいなところが見えてしまって、カネカネカネカネな世の中にうんざりしてしまった。日本には素敵な伝統や文化、これまで数千年単位で守ってきた昔ながらの生き方があるんだよなあと。現代の生き方や暮らしの歴史なんてせいぜい100年くらいなもんで長続きしてきた実績としては非常に浅いんだよなあと。思った。

恥ずかしながらまだ全然勉強が足りていない身なので、あまり難しいことはわからないんだけれども、カネが中心にまわる世の中を続けていることが地球にとって本当にいいことなのか?というのは疑問で。資本主義やめろとまで言うかどうかはさておき、どこかしらで見直して他の方向に進み始めるその転換期が来ているような、そんな気がする。自分には。そのテーマを掘り下げるのに林業というのはわりとアプローチがしやすいと思っていて、そのまんま起業モチベに直結している。

林業って産業でもある一方で、地球との正しい向き合い方の模索、みたいなところはあるからね。そういう答えがすぐに見つからない問いに対して、ときには頭で考え、ときには身体を動かして答えっぽいなにかを探していくプロセス的なやつ、個人的に好き。

次はふたつめ。「日本国内の第一次産業を盛り上げたい」だけど。今や高校卒業する人の半分以上が大学や短大に進学する日本。我々の親世代で10%くらいだったことを考えるとすごい勢いで進学率が向上しているわけなんだけれども。大卒者の就職先として第一次産業が選ばれることは極端に少ない(たしか前調べたら1000人に2人くらい)というのが現状である。そのうち林業なんてもっと少ない。何ならデータがほぼ出ない。

時代によって生き方考え方は異なるので、一世代前の人を否定するつもりはないが、地方の人はとりあえず東京に出ていい企業に就職しようみたいなムーブメントは数十年前から今まで多かれ少なかれずっと存在する。でも本当にそれって令和の今の時代も根強く存在していい価値観なのか、それは考え直してみる必要があるのではないかな、と思う。仮に農業も林業も機械化が進んだとしても、担い手は確実に必要な業種。どうしたらいいもんかね。

そこで、まあ自分の学歴を振りかざしたいわけではないが、一応慶應卒の人間が林業をやっているというロールモデルの存在はそれなりに重要なんじゃないかなとも思うし、さらにそんな人が会社立ち上げて食っていっけていて、何ならすごい楽しそうな生活を送っているということを見せることは、村を出るか出まいか進路に悩む、村内で暮らす子どもたちにも影響を与え得ると思っている。ロールモデルになる!!というひとつの解決策ね。

あとは教育の観点からのアプローチも重要だと思っていて。いくら「農業楽しいよ!」「林業稼げるよ!」と言ったところで従事者増えるとは思っていなくて。食育という分野が存在するように、住宅教育という分野もあっていいと思うし。だって今どきの家に住んでいたら、その家が木造がコンクリか、戸建てかマンションかくらいしか違いはわからないし、友達とも住んでいる家についての話でそれ以上深堀りすることないからな。「ウチの窓のサッシはアルミ製」「ウチは県産のスギ材で建てたよ」みたいな会話なんて起こり得ない。そういうところから興味が湧いて、林業にも話が繋がってくると思うんだよね。

ほんと教育の観点でのアプローチは様々なので、いまも村の教育委員会とも色々模索しながら進めているところでして…。放課後に小学生と山で秘密基地づくりしてみようかなーとか。あと明日は中学生に木の伐採現場を見せる授業やったりとか。早速やってます、色々。数年後数十年後でいいから、なにか実るといいな。

最後。「地球に認められる存在になりたい」。なんかせっかく地球っていう奇跡的な星に生まれてきたわけだし、地球が「あー、古川に生命を注ぎ込んでよかったわ」って思ってくれたら嬉しいなと思う。まあ生命注ぎ込んでいるの地球じゃない説もあるけど。地球で生きているというより、地球に生かされているっていう感覚のほうが強いのかもしれない。

絶対二酸化炭素排出量とか、食べ物食い漁ったりとか、化石燃料バンバン燃やして行動したりとか、人間って普通に生きているだけで地球にとって害になってしまう生き物なんかなって思ってしまう。あんま考えたくないけど実際ね。だから、地球相手にできる限りの恩返しはしたい。全人類地球に恩返ししろって言いたいわけではなくて、少なくとも自分はその必要があるなと思うから、するよってだけの話。

別に短い人生だしひとりの人間が何してたって地球知ったこっちゃないんだろうなと思うけど、これまで数千年単位の地球と人間との共存の歴史をもうちょいリスペクトした方がいいんじゃないかなと思ったんだよね…。てだけの話。ひとまず林業という世界からできるところまでやってみるからちょっと見ててくれって感じ。浅はかな考えだけどそんな感じ。


5. まとめ

林業ってぶっちゃけ暇なこと多くて、たとえば下草刈りで刈払機でブンブン草刈ってるときとか、安全だけ気をつけて考え事しながら作業している。作業しながら地球のこととか、今後の人生で叶えるべきテーマとか、考えている。その一部を今回書いちゃった、という感じ。

正直森林づくり(又の名を地球との向き合い方、地球と人間との関係性づくり)の正解って誰もわからないはず。戦後の大規模植林を頭ごなしに否定する必要もない。でもこれまで数千年の単位で先祖が築き上げてきた森林づくりがここ数十年でガラリと変わってしまったこと、それは事実なのかもなあと。地球数億年の歴史の中の今なんて一瞬で、正解不正解見定める時間としては短すぎる。今なりの正解っぽいなにかを探してやっていくしかない。

「これまでの山づくりをリスペクトし、100年後の山をデザインする企業」

これが新しく作った会社のスローガン。名刺の裏に書いた。今すぐそのスローガンを実現することはできなくとも、頭の片隅で日々考えながら、安全第一で仕事に取り組めればと思う。

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あ、そうそう。「サンエイト」っていう会社の名前の由来だけど。
山が栄えて豊かになりますように、「山栄豊」
山で営む人のためになりますように、「山営人」
山を後世に永久に橋渡しできますように、「山永渡」
sun(太陽)とeight(八=山)をかけて山仕事に陽の光が差し込みますように…
など色々な想いを込めてある。

というわけで、一旦は今回の記事はこんなところで終わりにしようかな。ここまで読んでいただいた方ありがとうございました。

あと、万が一、こんな私と一緒に林業やってみたい!という人がいれば声かけてくださいね。それでは。また。



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