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自分を大事にできなかった話

先日の記事で「卒業します」という話をしましたが、
どうやらいちばん肝心なことを書いていなかったみたいです。

今回卒業するのは、23年続けた介護職。

或いは、もう一度介護の仕事に戻ることもあるのかもしれませんが、そのためには絶対クリアしておかなければいけない条件があります。


それは、自分で自分のケアが出来ているということ。
身体、メンタル両面でです。


思えば介護士時代の最後の頃は、とにかく自分に対して投げやりで、自分を蔑ろにしていたように思います。

どれくらい自分を蔑んでいたかというと…

「どうせ汗で落ちるから時間とお金が勿体ない」と、いつしかメイクはおろか基礎化粧品まで使わなくなり、、、

さらに「今日は入浴介助したから、自分のお風呂はパスでいいや」

という体たらく。最後の1~2年はこれがほぼ毎日でした。

交代制勤務の入所ならまだよかったのですが、デイケア勤務だとコアタイム+送迎・準備・片付けなどで、朝は早く帰りも毎日残業。

家に帰ったら疲れ果てて、自分の事などどうでもよくなってしまいました。

入所からデイに移ったのは自分の希望でなくトップダウンだったということもあり、毎日入所の職員が定時であがるのを横目で見ては、悔しく悲しい思いをしていました。


その反動で、休みは毎回150~200kmほど自転車で走ります。
そうすると疲れが取れないせいか、じつはride中に軽微な落車をすることが時々ありました。

さらに休みが明けて仕事に戻っても、不注意によるミスがだんだん目立つようになってきます。

前にも触れましたが、最後の頃はコロナ禍の業務煩雑化や人間関係から、メンタルを病んでもいます。

仕事中は現実感がなくずっと頭に靄がかかった感覚が続き、休みで自転車に乗った時だけ「生きてる!」と実感。それを数日周期で繰り返していました。

1日200km走る理由も、楽しいからというより生きる実感と職場への反骨のためだったというのが、本当のところです。

仕事中に夢遊病のような違和感があって、それが自分でどうにもできない状態が続くのだったら、他人様のケアなんてしている場合じゃない。

自分を大切にできていないのに、利用者さんに真摯に向かい合うなんて無理。

そう思って、介護から遠ざかることにしました。


介護の仕事を離れる理由は、ずっと書こうと思っていながら実は避けてきたことでもあります。

というのも、書くことが憚られるほどに追い詰められる経験をしてきたので、その膿をここで出すのが果たして正しいのか?疑問に思ったからです。


ただ、勿論今はそれを書き連ねるのが本意ではありません。


介護の仕事に限りませんが、仕事が全うできる前提には、自分という資本がベースにある筈です。

それなのに自分より会社や顧客が大事とばかりに滅私奉公したり、或いは自分は望まないのに滅私奉公させられていると、勝手に思い込み職場を恨んだりしていた。

自分をしっかり持っていれば、そんなことのために一方的に傷つき、神経を摩耗させることも無かったのではないか。

意にそぐわない人事を招いてしまったのも、元を正せば自分が納得のいく仕事をしていなかったから、自分の中で不満が募り、クレーム沙汰を引き起こしてしまった。
今ではそう、振り返ることが出来ます。


前職の退職から、だいぶ時間は掛かりましたが、自分の過去にようやく妥当な評価ができつつあります。

これも、去年の12月から note で自分の気持ちを言語化し、整理してきたからなのでしょう。

また自分を大事にできなかったのと同じく、長い間母や家族のことも大事にしてきませんでした。
が、母への反感も note で言語化した結果、自分の心の反映だったと判明。

こうして永遠に続くと思われた私の反抗期も、どうにか母が元気なうちに幕引きとなりました(笑)


自分を大事にできなければ周りも大事にできない。物までも粗雑に扱ってしまう。
事実、近年は物を無くしたり壊したりすることも多かったのです。

いま、それらの反省から、マインドフルネスを意識しながら「丁寧な生活」を心掛けるようにしています。

まあ、あんまり物を粗末にできる身分でもないですからね💦


介護の仕事からは離れますが、自分を赦す・受入れることで周りを見渡せるようになり、いつでもどこでも困っている人がいたら、迷わず手を差し伸べられる人でありたい。









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