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砂原庸介著『領域を超えない民主主義』

※2023年1月8日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。


 私たちは地域の住民として、その属する地方政府(自治体)の意思決定に関わり税金を納めています。これは地方自治の大原則です。

 一方で、住まいと通勤先とで市町村が異なることがざらにあるように、私たちの生活は領域を超えて営まれます。特に経済成長の源泉である都市という存在を考えたとき、生活経済的なまとまりである都市圏の領域が柔軟に変化していくのに対し、地方政府の領域は簡単には変わりません。領域が異なる以上、都市圏の利益と地方政府の利益は必ずしも一致しません。

 であれば、地方政府どうしで調整や連携を行えればよいのですが、事はそう簡単には運びません。

 地方議会の選挙は選挙区内の定数が大きく、政党を基準とした選別は困難で、支援組織・団体の影響を受けた、より個別的な利益を訴える候補が当選しやすくなります。首長は領域全体により選出されているため、地方政府内での対立を生みます。

 一方、地域における政党機能の不全は、首長選挙においても必ずしも政党の支持を要しない状況を生みます。政党の拘束を受けない首長は、自領域の利益や、任期に基づく短期的な利益に重心を置きます。そのため、長期的な関係を必要とする地方政府間の連携を難しくし、むしろ競争が引き起こされます。

 さらに幾度の地方分権改革にもかかわらず、国が法律で定めた事務について、国が一定の負担をしながら地方政府が実施するという大枠は変わっていません。よって地方政府は、他の地方政府と連携するよりも、国との個別的な関係、いわゆる「中央とのパイプ」を生かすことに集中します。

 地方政府内の対立、地方政府間の競争、国と地方との関係が、都市をめぐる地方政府間連携を阻害する――。こうした意思決定の分裂を生みやすい日本の地方制度を下敷きに、日本の都市をめぐる問題を位置付けていこうとするのが本書の試みです。


都市をめぐる競争

 県庁所在市では第2章で指摘されるように、その都市整備を県と市という異なるレベルの地方政府が担うことになります。しかし同じような都市開発事業であっても、狭い地域の利益を追求する市と、郊外も含めた県全体での発展を狙う県とではその目的が異なります。究極的には、県による郊外開発が、結果的に都心の競争相手を生んでしまいかねません。

 一方、県庁所在市ではない都市も厳しい環境に置かれます。第3章で取り上げられる函館や下関は、明治初期に開港し発展した港湾都市であるにもかかわらず、国や県からの支援を受けられず自前の資源で港湾整備をし、国が補助する他の有力港湾(函館にとっては札幌の外港である小樽港や、重化学基地を擁する室蘭港。下関にとっては福岡県令が開発を主導した門司港)と競争しなければなりませんでした。

 そうした制約の下、両市は市域を拡大させることで港湾整備の財源確保を狙います。しかし戦後の日本の地方財政は国庫支出金頼みとなることが多いため、合併によって郊外を市域に取り込むと、郊外の道路や水道などの生活基盤整備に重点を置く必要があり、港湾整備に財源を集中させることは余計に困難になります。同じ地方政府内で地域間競争が引き起こされるだけでなく、都市が空洞化して独自の魅力を失うことで、他都市との競争にもさらされます。

 日本の地方制度は、大都市では圏内の複数の地方政府間での意志決定の分裂を促し、地方都市では都市を超えて広がる地方政府領域内での地域間競争が激化させるという傾向は、第4章のOECD加盟国内都市の計量的な比較分析によっても実証されます。

意思を集約できない住民投票

 一つの都市をめぐって、地方政府間あるいは地方政府内での分裂した意思が調停されないと、都市圏をめぐる「民意」をどこに求めればよいのかという問題が起こります。そこで切り札と目されるのが住民投票です。超党派の議論を経て住民の意思を統合し、地域としての最終決定となることが期待されるからです。しかし実際には住民投票の結果を地方政府が覆すことは多々起きています。

 オンラインの意識調査の結果を、ヴィネット実験という手法を用いて分析した第5章によれば、人々は住民投票の争点や、投票結果における多数派の大きさ、議会決定の尊重意識等々によって、住民投票の正統性に対する態度を変化させるようです。つまり人々にとって住民投票は必ずしも最終的な意思決定手段ではなく、条件によっては議会の意思決定のほうが正統性を持つと考えているのです。

 平成の大合併の際には各地で住民投票が実施されました。第6章はこれらを、法律で規定されている合併協議会設置のための住民投票に加えて、地方政府独自の条例にもとづく、合併自体を問うものや、どこと合併するかといった枠組みを問うものなどに類型化して分析します。

 このうち法律で規定された合併協議会設置の住民投票とは、住民による合併協議会設置の直接請求を議会が否決した場合に、有権者の50分の1の連署による住民投票請求に基づいて行われるもので、賛成多数となれば議会の決定にかかわらず合併協議会が設置されることになります。

 しかしこの住民投票に基づいて合併協議会が設置されたケースでは、必ずしも実際に合併へと進んではいないことが分析によって示されています。住民による積極的な発議が合併の機運を高めるという直観に反して、むしろ議論の初期における投票が地域内での激しい対立をもたらした可能性があるのです。

 一方、条例に基づく住民投票では、合併するか否か(現状変更か現状維持か)を問うた住民投票では、投票率が高くなると現状維持への投票も増えるのに対し、どこと合併するかといった合併の枠組みを、合併しない選択肢も含めて問うた住民投票では、投票率が高くなると現状維持が選ばれにくくなっています。選択肢の提示の仕方によって、現状に対する態度が変わり得るというのです。

 第5章、第6章の住民投票の分析からは、住民投票が最終的な意思決定というよりも、道具的・戦略的に使われ得ることを示唆しています。

大阪の地方政治は政党政治化したか

 以上のような議論を踏まえるとやはり注目すべきは、維新と都構想をめぐる2010年代の大阪の地方政治ということになるでしょう。大阪維新の会による都構想議論は、政党が機能しにくい日本の地方政治にあって、長期的な課題について政党主導で議論が行われたという画期的な事例と言えます。なぜそんなことが実現できたかを探ったのが第7章です。

 まず、大阪には元々、分裂した意思決定の克服というアイデアへの支持が強く存在していました。大都市の運営に必要な権限を部分的に吸い上げ、ベッドタウン地域にもその位置付けに応じた相応の負担を求める考え方は、既に1960年代の中馬市政時代には、大阪市と隣接10市の合併構想という形で存在しました。これは2010年の初期都構想の源流となるものです。

 なお、都構想をめぐる議論では、隣接10市を含めた再編というアイデアは早々に消え、議論は大阪市の分割と特別区設置に重点が移っていきます。特別区には中核市並みの権限と財源が移譲され、都市計画も一部担うことされました。都構想の意義は、都心の再整備を通じて大都市・大阪の国際競争力を高めるというものから、現状の集積を新特別区に再分配するものへと変わり果てました。これでは現状よりも、大都市としての一体性を損ないかねなかったのです。

 さて、大阪維新の会の成立・存続をもたらした重要な要因が、小選挙区制に近い大阪府議会の選挙制度です。「維新か、反・維新か」という選択を有権者に問うことが可能だったのです。維新議員側もこうした環境下で当選すれば、再選のためには党による規律に従い、次の公認を得ることが重要になります。こうして府議会では、政党が機能する土壌が生まれました。

 となると、維新にとってはより中選挙区的な色彩の強い大阪市議会で多数の賛成を取り付けることが重要になります。そこで公明党に対し、国政選挙での対立候補擁立をちらつかせる脅しの戦略を用い、住民投票実施や、都構想の一部への賛成を取り付けることに成功します。

 さらに府議会選挙の制度について、小選挙区的な性質を強化した区割り変更とともに定数を削減することで、維新に有利な選挙制度を実現し、現在の大阪における維新一強体制を築き上げているのです。

 にもかかわらず2度の住民投票は結局、反対多数の結果となりました。著者は、通常の選挙では、「反・維新」以外で特に共通点を持たない対抗政党への投票の帰結は不透明であるのに対し、住民投票は「反対」への投票が明確に「現状維持」という帰結をもたらすという違いを強調します。

 しかしこうした位置付けの違いにもかかわらず、住民投票が2度行われたことは、住民投票が必ずしも最終的な意思決定としてはみなされていないということを意味します。大阪維新の会への支持・不支持と、大阪都構想への支持・不支持を同一視する見方が、1回目の投票による反対多数は「維新不支持」であり、その後の選挙で維新支持が「回復」したため、2回目の投票に打って出るという戦略を可能にしたのです。

 維新は日本の地方政治において珍しく成功した政党であり、府市の意思統一などを可能にしました。しかし選挙や住民投票を道具的・戦略的に活用して「直近の民意」をもって政治を動かしてきたことは、さまざまなタイミングで繰り返し民意を再集計し、そのうち特定のもののみを採用するという従来の日本政治の在り方をより深刻化させたとも言えます。「大阪維新の会という地方政党が成立・存続し得ても、地域的な政党政治が成り立っているわけではないことを意味すると考えられる」(201ページ)のです。

「地方政治の政党化」は望ましいのか

 著者の主張は次の2文に要約されるでしょう。

地方政府の分裂した意思決定は競争を通じて望ましい状態をもたらすというよりも、レベルの異なる地方政府を含めて、複数の地方政府が限りある資源をめぐって競争することで、都市の成長が阻害される可能性があるということである。

204ページ

政治家個人が有権者の支持をめぐって競争し、分裂した意思決定を生み出すのではなく、地方政府の領域という空間を超えて有権者に支持を訴え、政治家個人が辞めても組織としての決定が残るという政党の存在こそが、空間と時間を超えて民意に対して責任を持ちうる。

210ページ

 確かに都市の活力を引き出すことは、縮小する日本が今後も持続していくために重要と言えます。そのためには地方政府ごとに異なる結論を出していては非効率であるというのはそのとおりかもしれません。しかし一方で、地方政治という身近な生活にかかわる領域が政党化することは、必ずしも良いことばかりではないと思います。

 まずそもそも、地方政府間の意思決定の分裂を、都市の成長という点に還元して望ましくないとすることは妥当なのでしょうか。原発や基地といった広域的であり、かつ長期にその地域を規定する問題について、たとえば基地が立地する市町村での住民投票と、関係地も含めた住民投票、そして種々の首長・議会選挙とで意思が分裂することはあり得ますが、それが「望ましくない状態」であるかどうかは意見が分かれるところではないでしょうか。

 さらに、国政政党に地方が従属させられるのではないかという懸念や、政党化によって地域に深刻な分断が生じてしまうのではないかという不安もあるでしょう。国論を二分するのと同じような感覚で地域が二分されると、生活により密接な影響が出てしまうのではないかと思います。

 一方で「府市連携」によって維新が選挙のたびに選択されて政権を維持し続ける大阪の政治は、それだけ、放っておくと連携は機能しなくなるという日本の地方制度の分裂志向の強さがなせるものでしょう。本来は「府市連携」の上で何をするのかが問われるべきにもかかわらず、「連携している」こと自体が評価されてしまうのは望ましい姿ではありません。

 善教将大は『大阪の選択 なぜ都構想は再び否決されたのか』(2021年、有斐閣)の中で「重要なのは、維新に代わる選択肢が存在すること、言い換えれば『政治』が機能することだ。選択肢の不在は『政治』の側の問題である。あるいは、そのような方向へと政治的主体を誘因づける制度の問題である」(205ページ)と指摘しています。

 この問題意識に基づいて言えば、本書の考察は、制度の問題を強調していると感じました。ちなみに著者は地方議会における比例代表制の導入などを提案しています。

 分裂した意思決定と都市問題を長年研究してきた著者が、さまざまな論点を内包する形で改革の方向性を示した、まさに集大成と言ってよい一冊です。

(2022年、東京大学出版会)=2023年1月6日読了


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