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#051 ~音楽を始めたきっかけ ケリーとの出会い~

前回のいいね!のハートマークが私のnoteで最高点になりました!みなさま有難うございます。
あまりにも嬉しいので、続きを書かせて頂きますwww


私の名前は”小牟田聡” [コムタサトシ] これが本名。
しかし、殆どの人から

“Charlie” [チャーリー] 


と呼ばれています。

私の友人の杉山さんは実家がタバコ屋で、前に
「タバコ屋って儲かるんですか?!」
って聞いたことがあるんだけど、杉山さんは

「その質問、小学生の頃から未だにずっと聞かれるんだよね〜」って

確かにwww 聞いてみたくなる質問だ。

同様、私も度々

「なんでチャーリーなの?!」


と良く問われる。


折角なので答えておくが、高校時代に飼っていたビーグル犬のチャーリーと父親が近くの中学校の校庭で放し飼いをしていて
一瞬チャーリーが公道に出てしまった時に車に轢かれて死んでしまったのだ。
父親が轢かれたチャーリーを抱きかかえ帰宅してきた。

泣きじゃくる姉、私もとても辛かった。

その時、

"チャーリーという名前を私が受け継ごう"


と決め、それから自分のニックネームをチャーリーと決めた。

現在私は53歳で、コムタって呼ばれたのは18年位で、チャーリーと呼ばれているのは35年。
逆にコムタと呼ばれると、ビクッとする。
流石に銀行や役所で

チャーリーさ〜ん!

と、呼ばれることは無いがwww

たまにだけど、レストランや居酒屋で私を知っている人がいて

「あの、チャーリーさんですか?!」と聞かれることはあるけど、

「コムタさんですか?!」は、ほぼ無い。


話しは変わるが、今回のタイトルにある、

ケリー!!!


この人は一体何者か?!を説明して今回は終わります。

ケリーこと、飯田さんといいます。やっぱり日本人ですwww
彼は元々東芝EMIのレコーディングエンジニアから始まった音楽業界仲間です。

ちなみに、黒夢を売ったプロデューサーでもあります。


A-JARIも東芝EMIだったけれど、当時は一緒に仕事はした事がなかった。

A-JARI解散数年後の横山さんのツアーが始まった辺りに、ケリーは東芝からデビューする新人の林浩司の制作でアレンジャーを探していました。
このブログを読んでいる方なら分かりますが、私に良くして頂いたインペグ屋さんにケリーは発注していた。
インペグ屋さんは、「それならこの方はどうでしょうか?!」と、私を紹介してくれて、私に発注が来ました。

ここで、初めて私とケリーが初めて出会いました。


頂いたデモテープを聞きながらアレンジをして、レコーディングスタジオで録音をして納品が終わり仕事が完了した。

とても良い内容の仕事でした。

それから数年後ケリーは東芝を退社し、大躍進前兆のavexに転職していた。

その話しは次回以降になりますが、こうやってケリーと出会ったという話しです。

————

この話しにはオチがあって、ある日ケリーは自宅の前で洗車していると、向かいの家の人も洗車を始めていた。

良く見たら向かいの人は先日のインペグ屋さんだった。

ケリーは

「あれ!この間の〜」


まさか、インペグ屋さんが向かいに住んでいるとはwww

つづく〜

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