[WIP]要約「カントによる感性のアプリオリな形式としての時間と空間についての批判」

文献

1. 超越論的感性論

カントの理論について

  • カントによれば空間と時間は精神の外部にある実在(extra-mental reality)ではない。

  • 人間の心のもつアプリオリな形式である。

  • カントは発見した

    • 感覚・知覚は二つの要素を含む

      • 「経験」による感覚の印象(素材)の多様な集まり

      • 「空間」と「時間」:心(感性)の純粋な形式


Kant finds that sense-perception contains a double element: the ‘manifold’ of sense impressions, which is derived from experience, and ‘space’ and ‘time,’ which are pure forms of the mind. 
  • 心の外部には物自体(またはヌーメナ)として世界のがある

    • それらは実際の物質的実在である

  • 「空間」と「時間」は物自体のどのような属性でもない

  • すべての直観は、空間的・時間的秩序のもとでのみ現れるがゆえに、「空間」と「時間」は、心の中でアプリオリに存在する、感覚・知覚の普遍的かつ必然的な条件である。

Since all intuitions or perceptions appear as arranged in a spatial and temporal order, ‘space’ and ‘time’ are universal and necessary conditions of sense- perception and as such must exist a priori in the mind.
  • 物自体は、空間も時間も持たない

    • 以下文献のp.111が参考文献として引かれている

  • 時間の直観は空間の直観に論理的に先行する。

    • 空間の直観は外界の知覚であるのに対し、時間の直観は内的感覚(内官)の条件である。

    • 外界の認識は内的感覚(内官)を前提とするため、時間は空間より先行する。

    • 全ての空間的認識は時間との関連においてのみ思考される。

For Kant, the intuition of time is logically prior to that of space, the latter – space – being the condition of external (outer) sense perception, and the former – time – being the condition of internal (inner) sense perception. And since the outer sense perceptions come under the internal sense, this sense is placed above these perceptions. For Kant, all intuitions of space are considered in terms of time, but not vice versa. Time, being more important for Kant than space, would constitute the intuitional form of all phenomena in general (time also plays an important role in the Transcendental Analytic of the Critique of Pure Reason, in Kant’s elaboration of the categories of the understanding).

p.4 
  • カントの「素材」(「印象」)は精神の外部にある世界の本性について我々に伝える能力を持たない。なぜなら、全ての素材(印象)は、わたしたちのうちにある限り、人間中心に「知らされ」「作り込まれ」「構築された」ものだからである。

  • カントの内在的な超越論的観念論では、現象として現れる「物」(things)と、不可知である「物自体」(things-in-themselves)は対照的なものである。

  • カントは、超越論的感性論で、彼の人間中心・主観論者・現象論者的内在論を説明している。


“What we have meant to say is that all our intuition is nothing but the representation of appearance; that the things which we intuit are not in themselves what we intuit them as being, nor their relations so constituted in themselves as they appear to us, and that if the subject, or even only the subjective constitution of the senses in general, be removed, the whole constitution and all the relations of objects in space and time, nay space and time themselves, would vanish. As appearances, they cannot exist in themselves, but only in us. What objects may be in themselves, and apart from all their receptivity of our sensibility, remains completely unknown to us. We know nothing but our mode of perceiving them – a mode which is peculiar to us, and not necessarily shared in by every being, though, certainly by every human being.”

”Critique of Pure Reason” A42/B59, Norman Kemp Smith edition, Macmillan, London, 1933, p.82

「我々が言わんとすることは、すべての我々の直観は、見かけの表象にすぎないということである。すなわち、我々が直観する物は、我々が存在として直観するようなそれら自身ではなく、またそれら自身に構成している関係性も我々の目の前に現れるようなものではなく、そしてもし主観(一般的に言えば感覚の主観的構成物)が取り除かれた場合、時間と空間内にあるすべての構成物と物の関係性は、それどころか空間と時間でさえ、消え去るのである。(物の)表れとしては、それら自身は存在していないのであり、我々の中にのみある。
物がそれら自身としてどのようにあるか、そして受容性と感性から離れてどのようであるかは、完全に我々にとって不可知であり続ける。我々は、特異であり、全ての人間存在には確かであるが、すべての存在者に必然的に共有されるようなものではないものとして、我々が知覚する方法を知っているにすぎない。」

  • カントは、下記の4つの議論によって以下の2点を証明しようとした。

    • 空間と時間は、感性的な直観であり思考的な概念ではないことである。

    • 空間と時間は、アプリオリであり、アポステリオリ(経験のあと)ではない。

  • 前者の2つは空間と時間のアプリオリ性を扱い、後者の2つはそれらの直観的特性を扱っている

Hirschbergerによる要約

(1)  我々は抽象によっては空間と時間の表象を獲得することができない。なぜなら、もし我々が空間と時間を物体の並存と継起する事象から導き出すなら、まず仮定として空間と時間を仮定せねばならず、継起はそれら自身が空間と時間の表象以上のものではないからである。
(2)  時間と空間は我々がすでに保持しなければならない表象である。それらなしでは存在と世界を直観することができない。我々が常に保持していなければならないもの、結果として必然的となっているものはアプリオリである。
(3) 空間と時間は普遍的な観念ではなく、それらは特定の具体的なものの表象である。それゆえに、特定の場所や時間の間隔について語るとき、我々は定量的な微小の空間と時間について意味しているのみである。一つの場所(空間)は、ある種族が特定の標本によってアレンジされる様々なものであるようなもののように、変化したり代表されたりしない。それらは常に性質的には同じであり、一つの空間(場所)である。これは時間についても同様である。

(4)空間と時間は無限であり、ある特定の空間や時間をそのうちに含んでいる点が、普遍的な観念が現実的な個物を下位に含むのとは異なっている。空間は、普遍的な観念のように、具体的な実在、特定の場所に含まれているのではなく、空間が空間の中にあるのである。そしてこのことは、時間についても言えることである。

J. HIRSCHBERGER, The History of Philosophy, vol. 2, Bruce, Milwaukee, 1959, pp. 284-285.


2. 感性のアプリオリな形式としての空間と時間双方への批判

Celestine Bittleによる批判

  • カントの理論は心理学と反する

    • 実験心理学の知見では、空間と時間の知覚は実際の感覚経験によって形成されるとしている。

      • 大きい、小さい、静止、運動などの知識

    • 生まれつきの白内障の子供は視覚的空間についての知識をもっていない。

      • 手術後に、経験・知覚を通してそれらの知識を獲得する。

  • もし主観による感性の形式としての空間と時間が、知覚の可能性の条件であるとするなら、なぜ心は盲目の人に対しても、「視覚的空間像」を、迫り来る印象について強制することができないのかについて、妥当な理由があると思えない。

  • しかし、上記の証拠は、以下の事実を示している。

    • 心の一部に属する空間の知識は、物体の知覚によって条件づけられていること

    • 経験に先立ってアプリオリに心の中に存在する何かの形式によって条件付けられていないこと

  • しかしもし空間が、物体の属性とするならば、時間もそうである。何故ならば両方ともこの点に関して同等であるからである。

3. 感性のアプリオリな形式としての空間への批判

J. A. McWilliam: Critique of Kant on the Genesis of the Notion of Space


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