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谷山浩子さんの歌といえば・・・


今月から私と一緒にnoteデビューしたお友達の
ノスタルジアさんが昨日、谷山浩子さんの歌を紹介していて、
私も彼女のお気に入りソングを紹介したくなった。


【ノスタルジアさんお薦めの一曲もぜひ聴いてみてください。】



さて、私が初めて谷山浩子さんを知ったのは、NHK「みんなのうた」。
記憶に残っているのは、以下の2曲。


恋するニワトリ   作詞・作曲:谷山浩子

この歌を聴いた時、まず詞の内容理解より先に、
谷山さんの日本語運用スキルの高さに感銘を受けたことを覚えている。

たとえば、「私はここよ」の「ここ」が
ニワトリの鳴き声の「ココ」と掛詞になっていたり、
4番詞の「にわにはニワトリ」のように、日本語の面白さに
ふと気づき、聴き入ってしまうような楽しい仕掛けが
歌詞全体に散りばめられている


そして歌に描かれた恋愛心理もまた面白く、奥深い。
この「恋するニワトリ(女性)」はいわゆる立場の異なる
プレイボーイ的な男性に惹かれて、せつない気持ちで過ごしている
のだが、どこか都会的な男女の恋を髣髴とさせる。

一方、曲はのどかな牧歌調。
つまり曲と詞、それぞれ単品で鑑賞するとミスマッチなのだが、
組み合わさると、明るさとせつなさがちょうどいい塩梅に溶け合う。

だから、世代を問わず安心して聴ける一曲として成立している
と感じるのだ。


また、谷山さんならではの豊富なレトリックにも息を吞む。
とりわけ暗喩が秀逸だ。
だから、聴き手は彼女の歌を聴くと想像の翼が無限に広がる。

歌の主人公「恋するニワトリ」の恋愛事情を探ると
ちょっと深刻でどうしようもない人間模様・恋愛事情が
横たわっているわけだが、言葉遊び的な要素が盛りだくさん
だからこそ、辛気臭さを感じさせない。
むしろ面白い、趣深い、と感じさせてくれる。

そして極めつけは、最後の
「ひとりでタマゴを うみました」
というセリフ。
叶わぬ恋のせつなさとかやりきれなさ、だけではなく
自分の恋を自分ひとりで温める主人公の強さ、たくましさも
感じる締めくくり方だと私は感じた。

無論、聴く人によっては私とは全く異なる詞の解釈・感想を
持つかもしれない。
それもまた自由だし、いろんな解釈があっていいと思う。


まっくら森の歌   作詞・作曲:谷山浩子

さて、「恋するニワトリ」で谷山浩子さんの描く詞の魅力を
私なりに熱く語ったが、この歌もまさしく「谷山ワールド」
全開の一曲といえるのではないだろうか。

いや、むしろ「恋するニワトリ」よりも暗喩が多すぎだし、
なおかつ想像の翼を広げたらどこへまでも果てしなく
広がりすぎて収集がつかなくなる。
それぐらいスケールが大きく、幻想的で神秘的。

だから子供の頃、初めてこの歌を聴いた時の感想は
「ワケわからん!」だった(苦笑)。

今も、この歌に関してはあえて下手な解釈・解説など
したくない。
ただ、3番の詞にある
「まっくら森は こころのめいろ」
というのはこの歌のタイトルの説明として十分だと思う。

自分の心の迷路をたどり、出口に行き着くことさえ
難しい私たち人間は、他人の心なんてどんなに理解しようと
努力してもわずかな部分しか推し量れない。

そんな「まっくらやみの森」を持った人間同士、
労わりながら、寄り添いながら、時には喧嘩しながら、
互いに心の傷を見つけたり、近づいたり遠ざかったり、
一緒に森の出口を探しながら旅したり、
暗中模索の人生航路を生きていくんだろうな、
なんて思う。

私にとってそんなことを思わせてくれる一曲だ。





最後までお読みくださったすべての方に感謝申し上げます。
ありがとうございましたm(__)m

執筆のインスピレーションを与えてくれた友人の
ノスタルジアさんにもお礼申し上げます。
素敵な記事をありがとうございました!!(*^_^*)

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