【日記】自分自身のこと

①自分

ADHDと躁鬱病を持っている。
自分自身ADHDは軽いほうだとは思う。
ただ本当にここ最近症状が目立つように思う。
私自身ずっと自分の状態に目を背けてきた。
病院に行ってしまったら負けだ、薬飲んでしまったら薬に頼ってしまうとずっと思ってた。

②適応障害

2年前、適応障害になり前職を2ヶ月休職した。
その時担当してもらった医師にも薬には頼りたくないといって薬は処方してもらわなかった。
休職した2ヶ月のうち、始めの1ヶ月は自分の好きなことをたくさんした。
好きな漫画のイベントへ行ったり、自分で書いた二次創作を本にしたり、本当に充実した日々だった。
残りの1ヶ月で転職活動をした。
人生最後の転職活動だと思って、希望する会社へ採用してもらい入社する事となった。

③転職

ところが、入社してみると前任者との引継ぎは半月しかなく、ほとんどわからないまま一人で業務をすることとなった。
毎日こなすことだけで手いっぱいで、報告物の提出ができてなくて本部から電話かかってきて何度も怒られた。
なにもわからないままがむしゃらにやった一年だった。
一年は本当に業務をただやるだけで精一杯で、対応も機械的だったと思う。

④この一年

2年目になって一年の流れが分かり、周りが見えるようになった。
このころから自分がADHDなんじゃないかと思うようになった。
・報告物を忘れる、細かいミスをする
・物をなくす
・話をしているときに別で周りが話していると話し相手が話している内容が入ってこない
・人が話しているときにかぶって話をしてしまう
・Aを話終えてBを話している最中に頭の中で勝手に内容を処理してまたAについて話したり、脳内で勝手に話をすすめてその内容を唐突に話してしまう
上げるとこんな感じ。
自分で話している内容がよくまとまらなくて言いたい事が分からなくなるのはしょっちゅう。
自分自身のことについて悩み始めた時に仕事をしながら気づいた事がある
1年目業務を覚えなきゃとできる事はすべてやっていたら、それが当たり前になってしまった。
私がやることが当たり前。
良かれと思ってやっていたことも私の業務になっていたのだ。
自分の業務とその他庶務すべてやる羽目になってしまった。
体調が悪くても私の業務は誰も変わってくれない。
たとえ体調不良で休んだとしても誰かが仕事をやってくれるわけがないので、次出社したとき私がやらなきゃいけない。
そう思うと、無理にでも出てきて仕事をした方がいいと思って自分自身に言い聞かせた。
この時、別の病院へかかることにした。
その病院では、
『思い当たる事があるのできっとADHDではあると思うが、今まで一般的な学校に通って、一般的に生きてきて、今日も一人で病院へ来た。
(本当に重度の人は親と一緒に来るだろうから)だから大丈夫だよ。』
と言われ、グレーゾーンのままで終わり、自分自身が気を付ける以上どうするすべもなかった。

⑤心の支え

自分自身本当にどうしていいかわからないままこの一年を過ごした。
ただただ自分が好きだった漫画のイベントが秋にあり、それだけの為にずっとがんばってきたのだ。
イベントまではずっと躁状態が続き、しんどくても体調が悪くてもそれでも頑張ることができたのだ。
ただ頑張れたといってもずっと元気で活動していたわけではない。
私はまた別の病院へかかることにし、そこで初めて薬に頼る事にした。
そこで自立支援制度を申請し、病院へ通院する事となった。
通院しながら仕事をしてイベントを迎えた
そしてイベントが終わるとやはり自分の中で、生きる理由がなくなってしまった。
生きる活力が消えてしまった。
何のために生きているのかが分からなくなった。
仕事も2月で辞める。
余計に何を目指しているか自分でも不明だ。

⑥今後

これからどうやって生きていくのかいくら考えても思い浮かばない。
だけど、できる事をやっていくしかないのだ。
一人で生きると決めていたので、誰に頼ることもできない。
まずは来月からどうするのか早く決めていかないといけない。


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