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さらば・三鷹跨線人道橋

今回は、昨年の12月に歩道橋としての最後の瞬間を迎えた、三鷹跨線人道橋という古びた人道橋を紹介したいと思います。老朽化のため、撤去されることが決まった人道橋。一般の人が渡ることのできる最後の週末に探訪しましたが、別れを惜しむたくさんの人々で賑わっていました。

■三鷹跨線人道橋とは?

三鷹跨線人道橋とは、1929年(昭和4年)に三鷹電車庫(今の三鷹車両センター)ができた際に完成した跨線橋です。その頃から、跨線橋の形も、(実は)電車庫の形なども、ほぼ変わっていないという場所になります。

今昔マップで見た、昭和初期と現在の、三鷹電車庫周辺。
電車庫の形は当時とあまり変わらない感じです。

跨線人道橋は、長らくの間、地域住民が利用する橋でしたが、耐震強度の不足などが問題となり、残念ながら昨年12月で供用を中止し、解体される運びとなりました。

この陸橋を有名にしたのは、太宰治です。1939年から晩年三鷹に住んでいた太宰は、この陸橋がお気に入りだったようで、たびたび訪れていたようです。こちらの記事に、その当時の写真が掲載されています。

そんな跨線人道橋を目指し、今回は歩きたいと思います。

■三鷹跨線人道橋を目指す

今回の探索は、三鷹駅からスタートです。実は、個人的にもこの場所は会社に入社し、京都から上京してきた時に最初に会社の寮があったので住んだ街です。というわけで、とても懐かしい駅でもあります。

中央・総武緩行線の終点、三鷹駅。かつては毎日通ったものです。
中央快速線が2面4線、中央・総武緩行線が1面2線ある駅。
昔と比べて、エキナカが充実し、賑やかになった気がします。
南口駅前の様子。さて、跨線人道橋を目指し、西に向かいます。
線路沿いに、西側に歩くと、電車庫が近づいてきます。
信号の制御ボックスでしょうか?
なかなか年季の入った機器のように見えます。
そして、しばらく歩くと、跨線人道橋が見えてきます。
なかなかの存在感です。
この線路沿いの道、「電車庫通り」と呼ぶようです。
市民に良く認知されている場所のようですね。

■三鷹跨線人道橋を訪ねる

やって来ました、人道橋。訪問日(2023/12/9)は、一般の人が普通に通ることができる最後の週末だったためか、地元の人を中心に、実に沢山の方が現地に来られていました。

自転車で来る家族連れなどが、結構多かったです。
古いレールで組まれた鉄骨に、コンクリートでできた階段。
やっぱりこの古びた雰囲気が味わい深いですね。
思い思いに写真に残そうとしている人たち。
橋の上は、ちょっとした観光スポットのようでした。
三鷹電車庫改め、三鷹車両センターの今の風景。
昔は旧型国電で、今はE231系の総武・東西線直通電車が中心ですが、
昔から見える風景はそんなに変化していないのでしょうかね。
中央快速線の電車がひっきりなしに走っていきます。
横にいる電車大好きなお子様が、大興奮で説明していました。
北側から見たところ。本線が横断する部分だけ、
補強用の門型の鋼材が追加されているようです。
桁下を見てみたいと思います。廃レールで組んだ貴重な構造物。
1923年製のレールであるとの刻印がありました。
いやー、なかなか芸術的なレールの使い方です。
そのままの形で残れば良かったですが。部分的に保存されるそうです。
北側にあるバス停は、「跨線橋前」
この辺りは三鷹市ですが、線路の北側の大半は武蔵野市。
このバスは武蔵野市のコミュニティバス・「ムーバス」です。
別れを惜しむ人たちでいっぱいの、歩道橋。さらば!

■終わりに

この歩道橋、今はもう閉鎖されましたが、12月15~17日には、「渡り納め」というイベントがされたことも話題になりました。

これだけ愛された土木構造物も、なかなか貴重なものなのかもしれません。撤去工事は、この構造物の所有者である、JR東日本が、2年をかけて工事するそうです。

南側→北側の順で解体が進んでいくようです。
今の姿は、もうそろそろ見納めです。

https://www.jreast.co.jp/press/2023/hachioji/20230921_hc01.pdf

JR東日本ニュースリリースより

古い土木構造物の最後の姿に立ち会えて、とても良かったと思いました。

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