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妊娠:現実的なあれこれ

子どもを持つことに挑戦すること、不安。
その自分の感情はさておき、
妊娠したら実務としてやるべきことは多い。

妊娠出産をするとしたら。
この仮定のもと、現実として自分はどう対処するかは考えていないわけではなかった。

まずこれは譲れない、と思っていたのは『無痛分娩』だ。
陣痛は大変な痛みだと聞く。しかも、一日がかり。
自分が痛みに強いのか弱いのかはよくわからないが、
いくらめでたいことであっても痛みにもんどり打つことが必須なんて恐ろしすぎる。
そもそも、陣痛だろうが頭痛だろうが歯痛だろうが取れる痛みは取ったほうがいい、耐えて心身を消耗させるより、消耗を減らすことができればそのほうがよい、という価値観で生きている自分にとって、
痛みが軽減できる手段があるのならそれをやらない手はない。

無痛分娩のほうが産後の体力回復も早いという。
高齢出産の私は回復力が劣化しているので、これはものすごく大事だ。
産後入院中に速やかに体力回復を図り、退院後に始まる怒涛の育児生活に備えたい。
出産も大変ではあるが、生んだら終わりでは決してなく、むしろ長い長い子育てのスタートだ。
ボロボロでスタートするより、万全とはいわないまでも多少なりとも気力体力可能な限り回復して退院したいと考えた。

ただ、調べてみると現実はそう甘くなく、無痛分娩24時間対応可能、高齢初産にも対応可能、NICUあり、
となるとなんと通院可能な範囲では片手ほどしか産院がないと言う現実にぶち当たった。
土日や深夜だと無痛には対応できないという病院のなんと多いことか。
それじゃ困るよ!
それゆえか対応できるようなところはお高い上に大人気で予約困難だと評判だ。

ついでだからと海外の妊娠出産事情もちょっと調べてみたら、欧米では8割が無痛分娩で非常に一般的なものなのだとか。
たいして日本は1割程度。
なんだよおい、頑張ってくれ日本。

嘆いても仕方がないので、妊娠判明したら即座に初診予約の電話をかけるしかない、と心づもりだけしていた。
そうして妊娠検査薬で陽性を確認したとき、
夫に告げるより先に素早く電話し無痛分娩可能な産院を予約したのであった。
四の五の言って悩んでる暇はない、何かあればキャンセルすればいいだけだ、と、突進した。
妊娠判明は5週の頃だったが、初診の予約日は10週前になったので、妊娠の確定診断には他のクリニックに行くことにした。

続いて考えていたのは、出生前診断だ。
私は結婚時点で高齢の部類だ。
それだけあらゆるリスクが高くなる。
胎児の染色体異常のリスクもだ。
生まれてくる子を育てることを考えると、これは受けておきたかった。

賛否あると思う。命の選択の問題だ。

夫と話しあい、認定施設で遺伝カウンセリングも受けて、妊娠11週でにNIPTを受けた。
結果は陰性だった。

さて。
いざ妊娠して襲ってきた現実。
計画できる実務とは別で、
個人差が大きくいざ妊娠経過を辿るまでどうなるか予測のつかない妊娠に伴う体調変化についてはかなり参った。

妊娠判明から割とすぐに体調不良はやってきた。
まず軽度の腹痛。なんだかチクチクと痛む。
妊娠して、突貫工事で胎盤を急ごしらえしているらしく、腹部にずっと違和感があった。
耐えられないほどではないが、しんどい。
そして、ホルモンの影響で自律神経がおかしくなり不眠、寒気、かと思えば暑い、と目まぐるしい。
これまたしんどい。
また、全く食欲が湧かず、ほとんど食べられない。
吐いたりはないのだが、気持ち悪くて仕方がない。
それで動けなくなり、食べられないから余計動けず。どうしようもなくて仕事を一ヶ月ほど休んだ。

つわりは辛いというのは噂に聞いていたが、
いざ自分の身に降りかかると、いつよくなるともしれない、明日はもっとひどいかもしれない体調に絶望を覚え、
加えて新たな命を授かったことの喜びがその苦痛を上回らない自分に罪悪感もあり、心身ともに想像以上に疲弊した。
おそらく悪阻としては一般的〜中等度だったのだと思う。壮絶な話も聞く中でこの程度で済んでいるのは幸いなのかもしれないと慰めつつも、
仕事を休んで食事もろくに取らず1日の大半を寝て過ごして一ヶ月経過し、体重は5㎏減った。
もう妊娠をやめたい、と何度も思った。
この頃は本当に辛かった。
世の妊娠を経験しているすべての女性を尊敬してしまう。
みんなこれに耐えているのか、と。

少し体調がよくなってきても、100点満点中40〜60点を行ったり来たり。
悪阻の時期はマイナス500点くらいな気分だったのでその地獄に比べればありがたいが、非妊娠時の元気からはほど遠かった。
妊娠は病気ではない、とはよく言われることだが、病気じゃないと言われたとて何の慰めにもならない。しんどいものはしんどいのだ。
妊娠経過は順調であったが体調は元気いっぱいとは程遠く、産休育休とは別で妊娠休暇がほしいと心底思った。
世の妊婦はこんなに気持ち悪くつらい思いをしながら通勤したり働いたり、家事をしたり、育児をしたりしているのか。
今まであまり気にしていなかったけれど、今後は絶対、マタニティマークやお腹の大きな様子を認識したらその女性には親切にしようと誓った。

妊娠5ヶ月を過ぎた頃、ようやく70点程度の体調が続くようになった。
いわゆる安定期というやつだ。
初期のつわりの頃にほぼ寝て過ごしてすっかり低下してしまった体力は半分も戻らないままお腹が大きくなってきて、血液循環量も増えているのかどんどん疲れやすくなってきた。
同時期胎動もはっきりしてきて、赤ちゃんの存在を感じられるようになり不思議な感覚になった。
なんだかお腹がムギュムギュしたりぼこぼこしたりしている。ときどき内側から殴られてるのか蹴られてるのか、衝撃がやってくる。
ドラマや漫画でよく見る「あ、動いた、うふふー」なんてかわいらしいものではないので、愛おしいという感情は正直なところ湧いてはこなくて、おーおーなんだなんだちょっとこれ、うおー大人しくしてー、と思ったしなんならちょっと気持ち悪いくらいな感じだ。
私とは別の個体が動いていることがどうにも慣れず、
夫も私のお腹が奇妙に波打っているのを見て「うわ、本当だすごい!」とおっかなびっくりな様子だった。
まぁ元気ってことだろうと受け止めた。

安定期にはマタ旅というやつもした。
車で2時間以内の近場、ひたすらのんびりする、という温泉旅行にした。
7歳未満のお子様はお断りの大人の静かな宿で至れり尽くせりを満喫して無事帰ってきた。

趣味である登山は、軽ハイキング程度のものを再開して月に2回程度夫に付き合ってもらった。

そうこうしているうちに、妊娠後期に入った。
仕事は通常業務とらほぼ変わりない内容だったが、この頃になるとお腹が張ることが増えてきた。
山でも歩くのは非常に慎重になってきた。

そしてある日の健診で担当医より
『子宮頸管長が短い』と言われるのである。

そこから生活は一変することとなる。



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