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妊娠前後:子どもを持つこと

37歳で結婚をした。

夫とは約3年の交際を経て結婚した。

結婚に至るまでに、それなりに収入のある仕事について趣味もあってある程度の蓄えもできていたので、
結婚でパートナーを持つことは、私にとって生活の糧を得る手段としてマストというようなものではなく、
ご縁があればそういったパートナーが居ることは心強いけれど
がむしゃらになってでも婚活をして手に入れなければ不幸であるという囚われもなかった。
子供がどうしてもほしい、という思いも正直言ってなかった。

ただ、交際の年月を重ねていくうちに、わたしたちは一体どういう関係になっていくのだろうということに漠然とした不安を感じるようになった。

婚姻関係のないパートナーとして末永く過ごしていけば、
法的に家族ではないことが大きな障壁となることは容易に想像できた。
彼になにかあったとき、私は彼に対してなんの決定権もない。
重篤な状態になったとき、ICUで面会することさえできない。
逆に私になにかあったとき、私は彼に何も遺すことができない。

相手に対して責任を持ちたいと考えると、この国では、自ずと答えは結婚にたどり着いた。

先程も書いたように、子供については積極的ではなかった。
結婚したのが37歳という晩婚なのだから、子どもがほしければ急がなければならない。
自然に任せて、などというには少々遅く、医療介入も考えなければならない年齢だという認識は十分すぎるほどあった。
だが、そもそも子どもがほしいという願望があまりなかった。

生物学的に仕方のないことだが、妊娠・出産においては女性にのみやたらめったら大きなダメージを負うことになる。率直に、怖い。
また、子育てには長時間に渡って多大な精神的肉体的労力を要し、経済的にも大きな金額を費やすことが必然とされる。
一方で妊娠・出産・子育てすべてが稼ぐ力を削ぎ落とす方向に働き、しっかり稼ぎながら子育てを両立するというのは困難だと多くの人が語る。
毎日思い通りにはいかず、自分の時間がなくなるなか、
こなさなければいけないタスクは膨大になり心身ともに消耗し、
余裕がなくなって喧嘩も増えると聞く。
そして、その多大なコストをものともせず、子供を持って幸せだと笑っていなければならない脅迫めいた風潮がある(いや、実際何にも代えがたい幸せもあるのだろうけれど)。

何が何でも子どもがほしい、とはどうにも思えなかったのだ。
この点は、夫も同様の考えを話していた。

一方で、子どもを持たなかったら私は本当に後悔しないのだろうか、というのも不安の種だった。
少子化が日本の未来に大きな影を落とすことはほぼ確定な中、自分で自分の首をますます絞めるようなことをするのもなんだか間違っているような気がした。
子供が絶対欲しいとは思えないが、年を重ねていざ本当に産めなくなってしまうことにはなんとも言えない恐怖感がある。
妊娠出産可能でなくなるということだけではなく、年齢を重ねるとあらゆる能力が落ちていく。
今は体が動くから、体の自由が効かなくなる妊娠出産子育てを忌避してしまうけれど、年を取ればそんなこと関係なく、若さゆえにあった体力や回復力、適応力、、、諸々の能力が機能低下していく。ただただ色々なことができなくなってくる。
このままでいいのだろうか。
二人で生きていくことに幸せを見出すことはきっとできるだろう。
子供を持たない選択をした人たちについて、否定する気持ちはないどころか肯定している。
ただ、私の目の前にある選択肢をどう考えればよいのか。。。。

葛藤を抱えながら、あれこれ本を読んでみたりした。
ジェンダー問題、少子化問題、その背景は何なのか、どういうふうに分析されていて、どう解決していけばいいか。
子育てにかかる現実的な費用はどれくらいなのか。
どうやって乗り越えていけばよいのか。
どういう選択にせよ、なんとか前向きな思いで自信を持って選択できるようになりたい、と模索していたのだと思う。

いわゆるDINKSで過ごしている間に多少の蓄えができたので、
一般的な子育て費用の確保はなんとかなりそうだ、という感触は得ることができた。
キャリアの問題も、蓄えたお金である程度解決することができるかもしれない、ということもわかった。
所得制限が冷酷すぎてことごとくひっかかるので公的な支援は期待できないが、やっていけないわけではなさそうだ。
子供がいる人生、経済的にはなんとかやっていける見込みだ。
妊娠出産育児の実務が夫婦でどう回せるか、それはやってみないとわからないが、手を抜く方法、逃げ場もないわけではなさそうだ。
もちろん苦労はあるだろうが、追い詰められない工夫はできると思う。

あとは、腹をくくるかどうかだ。
子供のいる人生、チャレンジしてみるのはありなんじゃないか。

40歳という年齢を間近にして、これまでと同じように低用量ピルを飲み続けることもいよいよリスクとなってきた。
やめてみて、体調に問題がなければそのまま生活を続けてみよう。
不妊治療はしないことにした。
自然妊娠しなければそれまで。
高齢妊娠なりのリスクもあるだろうが、最近はこの年齢で出産する人もかなり多くなってきた。
世の中は変わってきている。

そうして過ごす中で、その日はやってきた。
妊娠したのである。

胸に去来したのは複雑な感情だった。
妊娠できた、という妙な安心感。本当に妊娠するとは、という驚き。
妊娠して大丈夫なのだろうか、という不安。
この先20年近くの人生において、優先順位が大きく変わる。
子供が育つにつれつきっきりで命を守らなければいけないという手のかかり方はなくなってくるのだろうけれど、
今度は一人の人間としての成長を見守っていく伴走者になる。
先が長く明確なゴールの見えない道のりの、スタートラインに立ったのだ。

夫にはすぐに伝えた。
本当に妊娠検査薬って陽性になるんだ、と妊娠検査薬の陽性のラインを眺める夫。
さて、どうしようか、と。

なにはともあれ病院に行くことにした。


私が初診として受診したのは、お産を取り扱っていないクリニックだった。

『おめでたですよ』

そうか、おめでたいんだな。
エコーで胎嚢を確認した。心拍はまだ確認できず、とりあえず子宮外妊娠ではなかった。
その後も毎週8週目頃まで通い、心拍をしっかり確認してから母子手帳を受け取り、産院への紹介状を手にした。

ずっと複雑な気持ちで過ごしていた。

順調に行けば私が母になる。
待ち望んでいたかと言われれば、わからない。

妊娠、出産、子育て。
全てに不安が大きい。
私達は家族が増えてもうまくやっていけるだろうか。
そもそも妊娠経過は順調に行くだろうか。

一方で、新しいことが始まることにはワクワクもした。
人生において子供を持つことほどの大きな転機が訪れることはそうそうないだろう。
何もできない、一人では生きていけない命を守り、小さな成長を喜ぶ。
今はなんてことはないことも、子どもがいれば全く世界は違ってくるのだろう。
我が子の笑顔を家族で分かちあうこと、きっと幸せなんだろう。
まだ見ぬ世界へ歩みを進める。新たな冒険。

冒険にリスクはつきものだ。
もう前に進み始めている。
妊娠経過が進むに連れなんともいえない不安とあせりに苛まれていたとき
不意に出会ったのが下記リンクの文章だった。


世の中には妊娠・出産・子育てについて
大変だ!!の大合唱が轟いている。
綺麗事で済ませる話ではないし、大変さを否定もしないが、
この文章を読んでようやく
そこに幸せがあることを素直に受け入れられそうな気がした。





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