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薄明 5

あれはカクヌダディで地元の男と話していた時のこと。
マリオはヨネザーウ国への攻略を迫られ、地元の人しか知らない山道を下ってヨネザーウに入ろうとしていた。
「熊に気をつけた方が良いですよ。」
カクヌダディの男は真顔で言う。
「熊に、か?」
この戦の最中に、何と平和な事を言うのだろう。思わず、ははは、と笑った。「熊なんて、鉄砲で撃ち殺して鍋にしてやるから、安心しろ。」
「いえいえ、熊はでかいんですよ。」
男は、相変わらず真顔だ。
「人間なんて、食われちまう。」
「ほぅ。」
「うちのおっ母が山菜採りに出る時は、これ、ここにこうして、鈴をつけるんです。」
男は腰紐のあたりを指さして言った。
「人喰い熊が、こんなもので逃げるかね。」
「静かな森にチリチリ鳴ったら、案外響きますよ。熊は臆病な動物ですからね…」

マリオは寝転がりながら、そんな事を思い出していた。ここ数日、ウトウトしては目が覚めてしまう。
「熊に鈴、ねぇ」
ヨネザーウは、サドゥーモとトゥサの軍隊に挟まれ、早々に恭順したのだ。だから、マリオは実戦には加わらず、戦後処理、しかも寛大な処理に加わっただけだった。
だからか、この戦争でよく覚えているのは「熊に鈴」と言った、カクヌダディの男の事だった。

ふと、「鈴なんてそんなに響くのだろうか」と言う疑問がうまれた。
マリオは寝床から這い出ると、お守りにもらった神社の鈴を探し始める。あそこに、確か守り袋の中に…あった。
小さな鈴を、丸くて大きな手に乗せて、ピンと弾いてみる。すると、案外大きな音で、リン、と鳴った。
イェットの敗残兵も、鈴の音で降伏してくれたらいいのに。
自分で思っておいて、マリオは笑ってしまった。
相手も兵隊だ。こんな子ども騙しが通用するはずがない。

「マリオ様、ジョシウ国のルフィノ殿より手紙が届きました。」
「ああ、置いといてくれ。」
マリオは気乗りのしない返事をした。
ジョシウ国は西の端にある国だ。イェット政府とはかねてから敵対しており、恨み辛みが山積している。サドゥーモはジョシウと和睦を結んでいるが、マリオは戦好きの彼らが正直苦手だった。
マリオはお守りの鈴を床に置き、重たい足取りでルフィノからの手紙を取りに行った。
ルフィノは何と言って来ているのか。ヨネザーウの戦後処理に関する苦情だろうか。
マリオは手紙を開き…にわかに青くなった。

ルフィノからの手紙。
「前略。
只今オーダディに到着した。予定よりも早く進軍出来そうだ。但し貴公と足並みを揃えたい。ハーナムキヤへの総攻撃について軍議を行いたいので、早急に北上されたし。」

ハーナムキヤへの攻撃にジョシウの軍隊が加われば、イェットの連中は最悪皆殺しになる。
それはつまり、洋行帰りのイェットの頭脳達を失う事でもあった。ジョシウの独走は最も避けたかった。

早く、センダードを発たなければ。
マリオは、忘れてはならないもの達、汚い洋書と骨壷を、丁寧に風呂敷に包み始めた。

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