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薄明

雪の降る夜は、遠くの山際が薄ら赤く見える。

「フィリップ殿、ご苦労であった。もう下がってよいぞ。」
私はまだ十五歳そこそこの青年に声をかけた。彼は若者らしい溌剌とした顔を少し緩めて、部屋を後にした。
残ったのは、私一人。
「さて、どうするか。」と、私はデスクに目を落としながら、無精髭をざらりと撫でた。

私が仕える政府は、我々をオランダに派遣し、最新の技術を学ばせた。
そして…我々が帰国した時には国がなくなっていた。戦争で政府は散り散りになり、私は残された兵隊をできる限り軍艦に乗せ、センダードの港から北の果てのハーナムキヤ島へ逃れた。
そう、我々は敗残兵だった。

「できる事は、全て終わった。」
私は自嘲気味に笑う。もう、出来る事はなくなっていた。

私が皆を連れてきたハーナムキヤは、真冬は氷雪に覆われる。そして海は荒れ狂い、オランダの最新科学の詰まった軍艦はあっけなく沈んだ。
この冬が終われば雪は溶け、海は鎮まり、新政権の追手がハーナムキヤに上陸するだろう。我々は新政権の攻撃を受け、遅かれ早かれ死ぬ。

心残りは、連れて来た敗残兵たち。
それと…オランダの記憶。

私はデスクの引き出しからオランダ語の法律書を取り出した。
懐かしい、全てが懐かしい。
国王の御恩も、難解な外国語も、地頭の良い勉学仲間たちも。
私は、法律書を胸に抱きながら、暫くその場に立ち尽くしていた。

もしも、かわいくも哀れなあの連中が助けられるなら。
もしも、オランダから持ち寄った技術や知識が後世に残るなら。

「フィリップ、居らぬか。頼みがある。」
私は本と手紙をまとめながら青年を呼んだ。
「お呼びでしょうか?」
「ああ、頼みがあるんだ。これを持って、センダードへ向かってくれないか。」
「しかし、センダードは既に新政権の手に落ちて…」
まさか、と、フィリップは小さく呟き、口を閉ざした。
「その、まさかだ。これを新政権の参謀マリオへ渡すんだ。我々は…降伏する。」

降伏すれば、私の命はないだろう。しかし、もしハーナムキヤまで付いて来た連中が助かる可能性があるなら…。

私は窓の外を見た。雪はやみ、僅かに月の光が見えた。
冬が終わる兆しだ。

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