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薄明 2

「マリオ様、イェット政府の残党が使者をよこしました。お会いになられますか?」
マリオは酒に焼けた丸顔を、声のした方向へ向けた。
「面白い。こちらに通せ。」

フィリップが通されたのは、思いのほか簡素な部屋だった。寺院の一角を間借りしたそこは、新政権の前線基地のようだった。
そして、酒の匂い。この酔っぱらいが参謀のマリオか。
この男達がイェットの政府を裏切り、西南の王族を従え、この国を征服しようとしている。
畜生、という言葉を、フィリップは飲み込み、後ろ手に縛られたまま静かに床に座った。

マリオの目の前の床に座ったのは、北の国の者らしく、ヒョロヒョロした手足と青白い顔を持つ…まだ子どもだった。
「おい、縄、解いてやれ。」マリオが言うと、兵隊は縄を解きにかかる。
青白い顔…マリオは思い出していた。あの日を。

秋の夕暮れ。
マリオははじめてセンダードの地を踏んでいた。マリオの生まれた太陽の町ではまだまだ暑い日が続くこの時期、センダードは既に寒く、紅葉が始まっていた。
「敗残兵を捕えよ」との御触れが出されて、城下町をしらみつぶしに探そうとしたが、町は不気味なくらい静まりかえっていた。
「マリオ様、大変です!女、子どもが…!」
誰かが悲鳴混じりに叫ぶ。
「待て、今行く。」マリオは重たい甲冑を引きずりながら、声の主を探した。女や子どもが取り残されているのだろうか。
「無抵抗の者に手出しするでないぞ。」
そう言いながら屋敷へ入っていき、そこで見たのは…血溜まりと、女と子どもたちの遺体。
「自殺したのか?」
マリオはつとめて冷静に尋ねたが、その声は震えていた。
「はい、おそらく。」
返事をした兵隊の声も、震える。「あちらでもこちらでも、女、子どもと、老人が自害しています。」
マリオは信じられなかった。
「おい、おい、しっかりしろ!」
叫びながら、一人一人揺さぶる。
すると、小さくうめく声が聞こえた。女だ。
「目を開けろ!今、軍医を呼んでやる!」
すると、女は小さく首を振って、言う。「敵か…味方か…」
「味方だ!」
咄嗟についた嘘だった。
女は、ふっと表情を緩めて、静かに息を引き取った。青白い顔をした、まだ若い女だった。

マリオはそれ以来、酒が手放せない。

西南の王族で手を組み、腐敗したイェットの政府を倒し、西洋に対抗出来る国を作ろう。
その言葉が虚しく頭をよぎる。
自分達の理念を全うするために犠牲になったのは、誰なのか。

「坊主、酒はまだ無理だな。飯でも食うか?」
「フィリップと申します。お気遣いは無用です。」
青白い子どもが言う。面白いな、と、マリオは思った。
「ハーナムキヤ島から一人で海超えて来たのか。偉いな。」
「軍艦でシオーモまで運んでもらい、そこから歩いて参りました。」
案外素直な子どもだ。
助けられるなら、助けたい。出来るだけたくさんの人を。
「このフィリップなる者、手紙と本を持っておりまして、我々がお持ちしました。」
兵隊が高らかに言う。いやいや、ふんだくったの間違いだろう。マリオは思わず苦笑いした。
「どれ、見せてみよ。」
兵隊がくしゃくしゃになった手紙と汚い洋書を恭しくマリオに渡した。
洋書の内容はよく分からないが、所々書き込みがされている。
そして手紙を開き…マリオの顔が俄かに輝いた。
「坊主、よくやったな!でかしたぞ!そうだ、降伏だ、全面降伏だ!」
この汚い洋書は、使える。この洋書を使いこなして西洋に対抗出来るやつは、わずかしかいない。つまり「殺さない言い訳」が出来たのだ。
全員、一人残らず助けてやる。
ははは、と、マリオは笑った。

鶏が鳴く声が聞こえた。朝だ。晴れやかな朝だ。

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