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薄明 3

「小僧、気をつけて帰れよ」
マリオはご機嫌で、フィリップの頭を撫で回した。酔っぱらいに絡まれたフィリップは、いささか迷惑そうであったが、マリオから手渡された手紙と酒をしっかり持ち、使者としての使命を全う出来てホッとしている様子だ。
「シオーモまで籠を使うといい。それから、漁師の船でハーナムキヤ島に運んでもらえ」
おい、と、マリオは兵隊を呼び、自分の籠をフィリップへ貸してやるように頼んだ。

フィリップへ渡した酒は、マリオの故郷サドゥーモの特産品の芋を使った酒だった。匂いが独特だが、慣れたら癖になる味だ。
「美味い酒になるぞ」
マリオは床に地図を広げながら、酒を一口飲んだ。これから考え事、そして軍議を行わなければ。

マリオはサドゥーモの貧しい歩兵の子どもだった。イェットの政府が国を治めてから300年、戦争のなく平和な時代が続き、歩兵とは名ばかりで、父は河川の普請に明け暮れていた。当然給金も少なく、家族はみかんを栽培して家計を支えていた。
マリオは籠いっぱいのみかんを、隣町まで売りに行くのだ。
「みかん、みかんは要らんかね!」
すると、町人が一人、また一人と買っていく。ごくたまに飴をもらえるのが、行商の楽しみだった。
退屈で、だけど平和な時間。

しかし、時代は急激に変わった。
サドゥーモの近海に異国船が度々現れるようになり、西南諸国は危機感を持つようになる。
隣国では、アヘンの密貿易を巡ってイギリスと戦争が起こり、南の島が割譲された。サドゥーモからそう遠くない島だった。
それに対してイェット政府の動きはあまりに鈍く、兵隊たちはみなピリピリしていた。

歩兵の子どもが呑気にみかん売りをするような時代では、なくなったのだ。

「さて、どうするかな」
マリオは床に広げた地図に、太い指を這わせた。
ハーナムキヤ島の集落に真正面から軍艦を入れたら、恐らく反発した敗残兵たちと争いになるだろう。それは絶対に避けたかった。
ならば…裏の山のふもとにわずかに広がる海岸から上陸したらどうか。
いや、それだとサドゥーモの軍隊が上陸できないではないか。

「マリオ様!」
その時、兵隊がマリオを呼んだ。顔が上気している。
「どうした、今、取り込み中だ。」
「シオーモ付近にいた間者を捕らえ、処刑しました。怪しげな書簡と酒を持っておりました。どうかご覧ください!」
まさか。
マリオは嫌な予感がした。青白い顔をしたフィリップ。まさか。
「すぐに行く!」

そこにあったのは…サドゥーモの酒と、マリオが書いて渡した手紙だった。

「拝啓、ギョーム殿
貴公の申し入れ、しかと受け止めました。預かった洋書は、責任を持って翻訳し、後世の世に役立てます。
4月になったら、軍艦をハーナムキヤへ遣わします。
大した土産ではありませんが、酒をフィリップに持たせました。皆で飲んでください。
敬具。」

マリオは、自分の書いた下手くそな手紙を、何度も何度も読み返した。
どうしてこんな事に…。

「マリオ様、いかが致しましょう?さらし首にしましょうか?」
「馬鹿野郎!」
唖然とする兵隊に、マリオは怒鳴り続けた。
「馬鹿野郎!大切な客人を、何故殺したんだ!まだガキじゃないか!馬鹿野郎、馬鹿野郎…」

フィリップの亡骸は、荼毘にふそう。そして、大切に預かろう。いつか、家族に返してやれるように。

マリオは、手紙をくしゃくしゃにしながら、その場に泣き崩れた。

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