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私たちの今の幸せは過去の人たちの想いでできている 軽バン車中泊日記_九州一周の旅8日目

指宿市(いぶすき)では
砂風呂やオシャレすぎるカフェを楽しんで大満足



次に向かう場所は、パートナーが行きたいと言っていた場所。


私たちの旅では
2人での会話をすごく大切にしてるんだけど

今回訪れた場所に関する会話は
ずっと止まらなかった。


それくらい、いろいろ考えさせられるし
忘れちゃだめだなと思える

そんな場所。


私たちの今の幸せは
過去の人がたくさん繋いでくれたものなんだって

心の底から感じられた。


「特攻隊」のいろんな声を聞ける場所

私たちが訪れたのはここ。

📍 知覧特攻平和会館
🗺 鹿児島県南九州市知覧町郡17881
🕰9:00-17:00
🚗駐車場あり
💰大人¥500  子ども¥300


ちょっとここは私にとって刺激が強すぎて
写真を残すのをはばかられた。


ここは第二次世界大戦のとき
アメリカの沖縄上陸を阻止するために

多くの特攻隊員が集まり、訓練して、特攻するために旅だった場所。


知覧っていう町は
鹿児島にあるってことから

沖縄に1番近い場所

だから
日本や海外の日本の植民地になってる場所から
多くの隊員が集まって


特攻隊が出発したそう。


ここは
多くの特攻隊員の遺書が残されている。

遺書だけじゃなくて
特攻隊員の人たちの生活の様子
それを支える周りの人たちの様子

戦況によって変わる
特攻隊員の全てが語られていた。


全員の写真と遺書が並ぶ

入ってすぐ、目に入ったのは
大量の顔写真が並んだ壁


みんな特攻隊員の顔写真。


その下には、隊員たちが残した遺書が展示されていた。


私は強い感情に弱くて
正直、こういった場所では涙が止まらなくて大変なことになる。

入って5秒で
「あ、むり。」と涙が出て進めなくなる。


遺書をみて
「戦争」という言葉が急に近くなる。



特攻隊員の多くは20代前半。
つまり今の私たちよりも若いってこと。


そんな人たちが
国のため
家族のため
未来のために

飛行機ごとアメリカ戦艦に飛び込んでいく。


当時の人たちは
状況が状況だから

なんて言えない。


遺書には
家族への別れの挨拶
育ててくれたことへの感謝の言葉
最後に親孝行してくるという意気込み


いろんな言葉が載っていた。



みんなどんな気持ちでこの遺書を書いたのだろう



震えが止まらなかったのか
覚悟は決めていたのか

やっぱり行きたくない
という気持ちがあったのではないのか


私の想像だけだから
なんとも言えないけど


当時の特攻隊員の素直な言葉

遺書には
「行きたくない」
「まだ生きていたい」
「死にたくない」

なんて言葉はひとつもなかった。


ただ、遺書のほとんどに
お母さんへの感謝の言葉が多くて

「今まで育ててくれてありがとう」
「家族のためにひとつでも多くのアメリカの戦艦をしずめてくる」

とあった。


私ですら
家族のありがたみを実感してきたのは大学で一人暮らしをはじめてから。

きっと特攻隊員の人たちも

いざ
自分が特攻部隊として死ぬって分かってから

ちゃんと家族にありがとうって伝えてなかったなって気づいて

たくさんの感謝の言葉を
今まで伝えられてなかった言葉を
一生懸命伝えてたんじゃないかなって思った。


戦争の記録や
どんな作戦だったかとか
戦時中の暮らしに関する資料は
いろんな施設で見ることができるけど

ここまで戦争の深い部分
「遺書」を通して
実際に生きていた人たちと向き合えることはないと思う。


特攻隊員の人たちは
未来の私たちにたくさんの想いを託してることを知った。


土地の歴史を知ることの大切さ


観光するのもすごく楽しいけど

日本の歴史
その土地の歴史をしっかり学べる施設に行くことも大切。

戦争をへて
こんなに復興したんだ
この観光地はいろんな歴史を経て修繕しながらできてるのか

など
新しい観光地の見方ができるようになる


鹿児島県を旅する人
たくさんの人に、ここ知覧特攻平和記念館に来てほしい。


今の幸せは
当たり前じゃないってことに

心の底から向き合える場所。


今日はここまで。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

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