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何かを生み出している人は上手いとか下手とか関係なく尊いよ。


絵を描き始めた時。
コピーの勉強を始めた時、僕のことをバカにする人がいまして。

僕の本名は水口というので、
その人たちは、それとポエムをかけて、ポエグチなどといじってきました。

一瞬反応できず、真顔で、どういう表情をしたらいいのか考えてしまったことを覚えています。
きまりが悪くなって最終的にトイレに逃げたことも。

しかもこれ、描くこと、書くことを心に決め、そこに向けて努力し始めて
ほんの二、三日で起こった出来事でした。

僕は、「やめてくださいよ〜w」と
ごまかしました。

僕が笑えば、その場は丸く収まるし、
いじってきた彼らも満足するだろう。
そう思って迎合してしまったんですよ。

心とは裏腹に。

本当は、
やはり、僕には才能がないんだ。
みんなにとって不快なんだ。
そんな気持ちでした。

これから制作活動をどんな気持ちでやっていけば
いいのかわからなくなってしまったというのでしょうか。
目の前が真っ暗になるっていう比喩はこういう時に使うんだなとわかりました。

なんだかいたたまれない気持ちになったと言いますか、
その時僕は、今まで投稿した絵も、ポエムといじられた言葉も、
投稿から全て削除してしまったんです。

誰にも必要とされていない何かを出すのが怖くなったのだと思います。

そこからしばらく、僕は何も作れなかったし、大学のゼミにもいけなくなってしまいました。

制作という制作から、逃れ、
毎日、自分が傷つかなくて済むことばかり。

遊んで、酒飲んで、寝て、バイトして。
それの繰り返し。

振り返って感じるのは、今でこそ、そこそこ心が強くなったとは思うのですが、つくり始めた時ってやっぱり自信がなかったんだと思います。

だから全部崩れ去ってしまった気がして。

とはいえ、今作れているのは立ち直ることができたからです。
その時立ち直らせてくれたのは、このゴッチのツイートでした。

僕、このツイートを見て、恥ずかしくなったんですよ。
一度人前で尻出しておきながら、やっぱりもう見せるのやめる。っていうのとか、
一回叩かれたくらいで、やりたいことを諦めるのとか。

今まで逃げに逃げていた自分も記憶の彼方に吹っ飛ばしてしまいたいくらい恥ずかしくて、同時に悔しくて。

悔しさのあまり、当時専攻していた木彫で、尻を作りました。


でもこれがきっかけとなって、今もちゃんと表現活動を続けられていると思うと、当時、ゴッチの尻発言に本当に救われたんだな。とすごい思っています。

散々書き散らしてしまったのですが、
僕が言いたいことは記事のタイトルの通りです。

何かを生み出している人は上手いとか下手とか関係なく尊いよ。

ただそれだけです。
僕はたまたま、こんな些細なことで悩んでしまいました。
でも当時の僕にとってはおおごとだったんです。

きっと表現活動を始めた時って、割とそういう人がいるのかなって思います。

自信がなくて、誰かが見てくれているのが嬉しいけど、やっぱりこっぱずかしくて。なんか、反応がもらえるだけで「生きていける!」と思える瞬間があるんですよ。それでまた次もっといいものを作ろうと思える。

そうやって頑張ろうとしている人のことを、どうかむやみに傷つけないであげてほしいなって思うんですよね。

世の中、わざわざ自分を表現しなくても生きていけるというのに、
表現で何かを変えられると思っている人を、無責任に殺さないでほしいなって思うんですよね。

そんなことを昔の日記を読んで思い出しました。

まだ何者でもない僕ですが、全てのクリエイターを僕は陰ながら応援していますし、つまづきそうになったら、尻作ったバカを思い出してください。

一緒に面白いこと、やっていきましょうよ。


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