酔った男の話

夢を追うのを諦めるって、簡単にさァ、言うなよなあ。
何者かになりたい時期は通り過ぎてしまった。
途端にやりたいことなんて何もない事に気づくと死にたくなるよ、なるだけだけど。

色々そんなに大事じゃない。

宝物みたいな光は見いだせなくなって、のうのうと生きているのが本当に幸せなのか?
ってずーっと、闇の中で問いかけて来る。
何かになりたかった残穢が、本当にこれで良かったのかって。
とは言われても、困っちゃうよね。
そう思ってなくても、体も価値観も明らかにトップスピードは出ない。

そうして諦めて、消えていくと、此間のニュースに文句を垂れ、若人に説教を解く、痛みを知れと煩い老人になるのかと思うとゾッとする。
せめてそういう思いを失わない為にはやっぱり、適度に夢は持った方が良いなと思う。
けど、もう何かになりてえなんて気持ち、持てないよ。恥ずかしいもん。
恥ずかしいってどうして思うようになっちゃったんだろうな。

もう何者になりたいかなんて欲を出すより、諦めてくだを巻いていたほうがずうっとラクだ。
誰かにとっての何かになれればいい、なんてのも、気にしていないほうがいいっていうか。
とは言え、自分に興味を持たないってことじゃない。
それまで失ったらどこまでも落ちていけるだろうし。

いくら頑張っても自分のことをどう思ってもらうかなんてコントロールできない。
どうにかできる範囲って自分のことだけじゃん?
どんだけ身近な存在でも、人の事だからこうなってほしいなんて願ったり期待したり、まあそこで上下する感情も人間のものなんだけどさ、そうじゃなくて、突き詰めたら自分がこうありたいって思う事には他者評価を気にしすぎて動かないより動いておけっていうかさ。
何が言いたいんだろうね~。まあ特にないんですけど。

まあ、コントロールは出来ないっていうけど、演出や構成や算段はできるわけじゃん。
で、おおよそ、こう思ってもらえる、見てもらえるなんていうのは、計算や経験で予想が出来る。
まあそういうわけでさ、お前が何たらしめたいのかを示すには行動するのが一番なんだよ。
何者になるって言葉を再利用するならこれがそういう事だと思うよ。知らんけど。

ああ~、日本酒、熱燗でお願いします。

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